ドイツの地理学者。ブレスラウとベルリンの両大学で自然科学、とくに地質学を修め、ウィーンの地質調査所技師としてオーストリアの地質調査に従事する。1860~1862年、プロイセン大使の随員として東ロシア諸国を巡り、日本も訪れた。1869~1872年上海(シャンハイ)商業会議所の委嘱を受けて中国の調査に着手し、甘粛(かんしゅく)地方と西南地方を除く中国の各地について、自然のみならず、社会・経済・風習などの地理的事情について詳しく踏査して実態を明らかにした。帰国後、1875~1883年ボン大学、1883~1886年ライプツィヒ大学、1886~1905年ベルリン大学の地理学教授として多数の論著を著し、ドイツの近代地理学の発達に貢献した。ことに地形学や黄土成因論をはじめ、1877~1912年にわたって大著『支那(しな)』China5巻と地図を刊行し、ヨーロッパにおける中国研究の発展にきわめて大きな役割を果たした。シルク・ロードSeidenstraßeの命名者でもある。
[織田武雄]
『望月勝海・佐藤晴生訳『支那 第1巻』(1942・岩波書店)』▽『能登志雄訳『支那 第5巻』(1943・岩波書店)』▽『海老原正雄訳『支那旅行日記』上・中(1943、1944・慶応書房)』
ドイツの地理学者。カールスルーエの貴族の家柄に生まれる。当初は地質学者としてアルプスやカルパチ山脈の地質調査に従事していたが,1860年より中国を中心とした東アジアの調査に参加,その成果を《中国》全5巻(1877-1912)の大著にあらわした。帰国後,ボン大学(1877-83),ライプチヒ大学(1883-86),ベルリン大学(1886-1905)の地理学講座を主催し,近代地理学の発展に大きな影響を与えた。それまで博物誌的傾向の強かった地理学の対象を,地表の事象に限定し,それらの相互関係や因果関係の究明を地理学の目的とした。方法としても観察や測定を重視し,科学としての地理学の方法論の確立に寄与した。ベルリンにて死去。〈シルクロード〉の命名者としても知られる。
執筆者:秋山 元秀
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1833~1905
ドイツの地理学者。初め地質学を学び,中国各地を調査して,自然,人文各分野の実態を明らかにした。帰国後,ボン大学やベルリン大学の地理学教授となった。「シルクロード」の命名者。
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…表層には紅色~紫色の砂岩,ケツ岩を母岩とする紫色土が広くおおうため〈紫色盆地〉とよばれる。19世紀四川を調査したリヒトホーフェンは〈赤盆地Red Basin〉と名づけている。肥力も高く,リンやカリウムなどが豊富にふくまれる。…
…ドイツ語のザイデンシュトラーセンSeidenstrassen(複数形〈絹の諸道〉)に基づく英語訳名。ドイツ語名は,ドイツの地理学者F.vonリヒトホーフェンの大著《支那China》第1巻(1877)に用いられ,以後これを受け継いだドイツの東洋学者A.ヘルマンの著書《シナ・シリア間の古代絹街道Die alten Seidenstrassen zwischen China und Syrien》(1910)などによって普及。古来,これらの交通路を利用して西方に運ばれた中国商品の代表的なものが絹であったことから付けられた名称である。…
…一方,オーストリアの地質学者E.ジュースが《地相論》の大著で,大地形の系統的な記載を試みた。またドイツのF.vonリヒトホーフェンは,地質学から転じてベルリン大学の地理学教授となり,《中国》《探検旅行者の手引》の中に地形の解説をしている。リヒトホーフェンの後を継いだA.ペンクは《地表形態学》を著し,ドイツ派の地形学に基盤をおいた。…
… 19世紀の中ごろから20世紀にかけては,各国に地理学協会や,諸大学に地理学教室が次々に設置され,地理学の発展期が訪れた。ベルリン大学のF.vonリヒトホーフェンはコロロギー学派を育てたし,ライプチヒ大学のF.ラッツェルは,初めて体系的な人文地理学と政治地理学の書物を著して環境論の科学化に貢献,フランスのビダル・ド・ラ・ブラーシュ,イギリスのH.J.マッキンダー,アメリカ合衆国のE.C.センプル,E.ハンティントンらの地理学者に影響を与えた。 その後,地理学はますます専門分化しながら発達するが,地理学の本質と方法,ラントシャフト(景観,景域)や地域,環境など地理学の基本的概念に関する論議も盛んになった。…
…日本ではげ山が著しく発生したのは,近世に樹木の伐採や草地の過利用(おもに燃料および緑厩肥用として)によって,植物の再生が妨げられた結果であった。ことに人口の集中する商工業地帯に近接する里山(さとやま)にその傾向が認められ,幕末に東海道沿岸を観察したドイツの地理学者リヒトホーフェンF.von Richthofen(1833‐1905)は,風景はすべて赤茶けた土山であると記した。山土の流亡はことに地質的に粘土質に乏しい花コウ岩の深層風化や第三紀の砂礫層で構成された丘陵に著しく,もっとも著しいのは近畿地方の諸盆地をめぐる山々と瀬戸内海沿岸部とであった。…
※「リヒトホーフェン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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