日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロード」の意味・わかりやすい解説
ロード(William Laud)
ろーど
William Laud
(1573―1645)
イギリス国教会の聖職者、カンタベリー大主教。ヨークシャーのレディングに生まれ、オックスフォード大学に学ぶ。セント・デービズおよびロンドンの各主教を経て、1633年カンタベリー大主教に就任した。チャールズ1世の絶対主義を支持し、信従拒否者を厳しく処罰したため、ピューリタンの強い反感を買った。1637年スコットランド教会に祈祷(きとう)書使用を強制したため、主教戦争を引き起こし、ピューリタン革命のきっかけをつくり、1645年1月10日ロンドン塔外で処刑された。
[八代 崇 2018年1月19日]
ロード(Alessandro de Rhodes)
ろーど
Alessandro de Rhodes
(1591―1660)
イエズス会宣教師。フランスのアビニョンに生まれる。1623年マカオへきて、その後コーチシナ、トンキンへ赴き、その地の言語を修得し、布教活動を行った。トンキン禁教令のためマカオへ行き、10年間布教を続けた。マカオとコーチシナの間を四度往復し、多数を改宗させた。1645年強制的にヨーロッパへ追放されたが、1655年ふたたびトルコ布教のために派遣され、1660年ペルシアで没した。アンナンの言語、民族、歴史を研究し、ことに彼の編纂(へんさん)による『アンナン・ポルトガル・ラテン語辞典』(1651)は有名である。
[宮崎賢太郎 2018年8月21日]