綱ノ上村(読み)つなのうえむら

日本歴史地名大系 「綱ノ上村」の解説

綱ノ上村
つなのうえむら

[現在地名]大月市梁川町綱の上やながわまちつなのうえ梁川町斧窪やながわまちおのくぼ

立野たちの村の東、桂川の左岸段丘上に位置する。村名は桂川対岸にある立野村への往来小舟を用い、その小舟を綱渡しする綱を張った上に立地することにちなむという(甲斐国志)。綱上・綱野上などとも記した。地内小松こまつ神社の文永一〇年(一二七三)および文明一一年(一四七九)棟札写(甲斐国志草稿)に「縄上村」とみえ、天正一九年(一五九一)八月一五日の加藤光吉印判状写(同書)では、友屋右近丞に対し当村ほか二村の居住者を富士講の旦那とすることを認めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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