大月市(読み)オオツキシ

デジタル大辞泉 「大月市」の意味・読み・例文・類語

おおつき‐し〔おほつき‐〕【大月市】

大月

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日本歴史地名大系 「大月市」の解説

大月市
おおつきし

面積:二八〇・三〇平方キロ

県の東部に位置し、北は北都留きたつる小菅こすげ村、東は同郡上野原うえのはら町、西は塩山市・東山梨郡大和やまと村、東八代郡御坂みさか町・一宮町に、南は都留市と南都留郡秋山あきやま村・河口湖かわぐちこ町に接している。市域は北を頂点とする二等辺三角形をなし、東西二七キロ余・南北一九キロ余と広大で、秩父ちちぶ山地・御坂山地丹沢たんざわ山地などに属す山間地が大部分を占めている。南部には山中やまなか湖を水源とする桂川が北から東に向きを変えて流れ、この桂川と同水系の笹子ささご川・真木まぎ川・浅利あさり川・葛野かずの川などの流域に平地がある。しかし市域の八四パーセントが山林原野で、平地はわずか一パーセントである。南部桂川沿いを江戸時代には甲州道中が通り、現在はJR中央本線・中央自動車道・国道二〇号が東西に走っている。さらにこれらの東京と甲信方面とをつなぐ幹線交通路から分岐した富士急行線、中央自動車道の富士吉田線、国道一三九号が都留・吉田方面と結んでいる。市名は近世の大月村を継承する。

〔原始〕

桂川や真木川・葛野川流域には河岸段丘が発達し、多くの遺跡が立地する。現在までのところ市域では一一八に上る遺跡が確認されており、うち約八割は縄文時代の遺跡である。市域最古の遺跡は富浜とみはま宮谷みやたにの旧石器時代の宮谷遺跡で、立川ロームの表面から二十数センチ前後の深さから硬砂岩粘板岩などを石材とした三〇点に上る石器・剥片・石片および礫塊が出土した。また賑岡にぎおか岩殿いわどのの岩殿遺跡では細石刃の出土が報じられている。これらのほかに七保ななほ町の葛野沖平おきだいら下和田しもわだにおいて有舌尖頭器がそれぞれ採集されているが、断片的なものであり、まとまった資料の発見には至っていない。縄文時代の遺跡は八十数遺跡が確認されている。早期初頭の遺跡は大月町真木の沢中原さわなかはら、賑岡町の岩殿中倉いわどのなかくら遺跡など十数遺跡が知られている。うち初狩はつかり町下初狩のそとガイド遺跡では押型文期の集石遺構二基・石組炉一二基が検出されている。同期末になると遺跡数も増加し、初狩町の原平はらだいら遺跡にみられるように大きな集落跡が出現する。同遺跡では住居跡五五軒・落し穴三十数基が検出され、当地域における本格的な定住生活の開始を示唆している。前期前半には遺跡数が減少、同じく原平遺跡で同期の住居跡が三軒検出されている。前期後半期には遺跡数は再び増加するが、住居跡は発見されていない。中期になると遺跡数の増加とともに調査された遺跡数も多くなり、宮谷遺跡・大月遺跡・原平遺跡、大月町花咲の孝道はなさきのこうどう遺跡などにおいて住居跡が検出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大月市」の意味・わかりやすい解説

大月〔市〕
おおつき

山梨県東部,桂川流域の中心都市。 1954年大月町,七保町,猿橋町と笹子,初狩,賑岡,梁川の4村が合体し市制施行。同年富浜村を編入。地名は三島神社境内の大ケヤキを古くは大槻 (おおつき) と呼んだことに由来するといわれる。中心市街地は桂川と笹子川の合流点の段丘上にあり,近世には甲州街道宿場町として発達。明治以後は中央本線が通り,富士急行の始点となって,富士五湖地方の玄関口となる。 69年中央自動車道の開通によりその機能が強まった。古くより甲斐絹 (かいき) の産地として知られた。現在は近郊住宅地となってきている。名勝の猿橋は,山口県岩国市の錦帯橋,栃木県日光市の神橋とともに日本三奇橋の1つとされる。戦国時代小山田氏の居城のあった岩殿山,さらに橋倉,真木,笹子,金山などの鉱泉がある。国道 20号線が通る。面積 280.25km2。人口 2万2512(2020)。

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