富山城内三の丸およびその外堀付近をいう。近世には惣曲輪と記されることが多く、惣ヶ輪・惣輪とも記された。富山藩の諸施設および藩士の屋敷が立並んだ。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理には、周辺町の記述に通称扱いでみえる。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図、万治年間富山旧市街図によると、本丸・二の丸・西の丸を取囲む形で上級の武家屋敷などが立並び、その外側を外堀が囲む。安政元年(一八五四)の富山城下絵図(県立図書館蔵)には外堀の南側に接して町役所・郡役所が記され、その間の小路(神田横町)を南に向かうと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...