中国の社会主義建設の総方針とその任務をいう。1919年の五・四運動から49年までは新民主主義革命期と呼ばれた。若干年の回復期をおいて,53年から67年までの15ヵ年を,資本主義から社会主義への過渡期と規定し,それを過ぎると社会主義へ入りうると考えられた。この間の任務は社会主義改造と社会主義工業化である。これを過渡期の総路線と呼んだ。しかし,1956年に社会主義改造が一気に完成された。58年から大衆の建設への積極性が高まり,人民公社化が始まった。このときに出されたのが社会主義建設の総路線で,これを大躍進政策と呼ぶ。78年12月の第11期中央委員会第3回全体会議以後の指導者は後のほうの総路線を否定する見解をとるが,これは文化大革命全体を否定する見解に通じる。文革期には資本主義から共産主義までの間の社会主義全体を過渡期と考えた。
執筆者:小島 麗逸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…〈百花斉放・百家争鳴〉の自由化政策のあとにつづいた〈反右派闘争〉が,毛沢東の強力な指導によるものであることは,先に述べたとおりだが,この〈闘争〉の効果として,党外の批判,とりわけ知識人の批判を一掃したこととともに,〈右〉をタブー視する極〈左〉的雰囲気を党内外に大衆的に作ったことが重要であった。この思想的引き締めをうけて,中共8全大会第2回会議(1958年5月)では,〈大いに意気込み,つねに高い目標を目ざし,多く,速く,りっぱに,むだなく社会主義を建設しよう〉という,いわゆる〈総路線〉が打ち出され,中共はこれより国民経済の〈大躍進〉政策に転ずることになるが,それはすぐ1年まえの党大会で出された〈積極的,かつ当をえた確実な〉(劉少奇報告)発展速度とは正反対の急進政策であった。毛沢東は,わずか1年余りで党を自分の考える方向に引きもどしたのである。…
※「総路線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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