日本大百科全書(ニッポニカ) 「人民政治協商会議」の意味・わかりやすい解説
人民政治協商会議
じんみんせいじきょうしょうかいぎ
中国における人民民主主義統一戦線の機能をもった政治組織機構。人民政協とも略称される。抗日戦争勝利後の国共停戦協定に基づいて、国共両党と民主諸党派が和平建国を目ざして1946年1月に重慶(じゅうけい)で開いた政治協商会議が最初であったが、国共内戦で意味を失った。「協商」とは「協議する」「話し合う」といった意味である。ついで中華人民共和国建国直前の1949年7月、中国共産党主導下で民主諸党派や各団体の代表が北京(ペキン)で中国人民政治協商会議第1期全体会議を開催して新中国の共同綱領、中央人民政府組織法などを決定した。このときの人民政協は、一種の臨時革命議会の役割を果たした。1954年に全国人民代表大会が招集されてからは象徴的な存在でしかなくなり、やがて1957年の反右派闘争では民主諸党派との「長期共存・相互監督」が否定され、さらに1966年以降は文化大革命が起こったために完全に形骸(けいがい)化したが、非毛沢東(もうたくとう)化とともに1978年2月以来は活動を再開し、1983年以降は共産党代表の占める比率も大幅に減らされた。一種の元老院ないしは諸党派クラブのような役割を果たしているといえよう。
[中嶋嶺雄 2019年4月16日]