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青蓮院 しょうれんいん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

青蓮院
しょうれんいん

京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺。粟田宮,粟田口御所ともいう。延暦寺三門跡の一つ。天養1 (1144) 年行玄の開基。初め十楽院と称したが,のち鳥羽上皇の勅により堂宇を造立し,門跡寺院となった。また,台密三味院流の本寺となり,建久~正治年間 (90~1201) 慈鎮和尚が大いに宗風を興した。親鸞が落飾したことから,本願寺法主がここで得度する例となった。応仁の乱の際,および 1893年に火災にあっている。国宝の『不動明王二童子像』 (→青不動 ) をはじめ,寺宝が多い。

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デジタル大辞泉の解説

しょうれん‐いん〔シヤウレンヰン〕【青蓮院】

京都市東山区粟田口(あわたぐち)にある天台宗の寺。天台三門跡寺院の一。比叡山東塔南谷にあった青蓮坊が12代行玄のとき、青蓮院となったのに始まる。仁平3年(1153)鳥羽院本坊のほかに白川坊舎を建て、皇子覚快法親王が入寺して以来門跡寺院となる。以後、多くの天台座主を当院から出した。粟田御所

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百科事典マイペディアの解説

青蓮院【しょうれんいん】

京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺。本尊熾盛光如来。1144年天台座主(ざす)行玄の開基,延暦寺三門跡(もんぜき)の一つで,粟田口御所とも呼ばれる。皇族や摂関家の子弟が法灯を継ぐとともに,本願寺法主(ほっす)が得度する慣例でもあった。
→関連項目粟田口織田荘華頂要略葛川尊円親王八瀬

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デジタル大辞泉プラスの解説

青蓮院

京都府京都市東山区にある寺院。平安時代末期の創建とされる。宗派は天台宗、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)曼荼羅。境内は国指定史跡。

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうれんいん【青蓮院】

京都市東山区粟田口にある天台宗の寺。三千院妙法院とともに天台宗三門跡の一つ。かつては十楽院と号し,東山御所,粟田御所ともいう。山号はない。1150年(久安6),叡山の行玄大僧正が鳥羽法皇の帰依をうけて開創。法皇の皇子覚快法親王がそのあとをついでから門跡寺院となり,以後皇族や摂関家の子弟が法灯をつぎ,朝廷の崇信厚く,天台宗三昧流の本所として栄えた。平安末から鎌倉初期の第3代門主慈円の時代,宗風は大いに振興した。

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大辞林 第三版の解説

しょうれんいん【青蓮院】

京都市東山区粟田口にある天台宗の寺。天台宗三門跡の一。1144年行玄の開創。もと延暦寺東塔の青蓮坊。1153年、鳥羽天皇の皇子覚快法親王の入寺以来門跡となり、以後皇族が相次いで入寺。一七世尊円法親王は書道の青蓮院流(御家流)の祖。国宝不動明王二童子像がある。粟田御所。東山御所。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

青蓮院
しょうれんいん

京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺。粟田口御所(ごしょ)ともよばれ、天台三門跡(もんぜき)の一つ。本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)。開基は最澄(さいちょう)。比叡(ひえい)山上の天台三千坊の一つで東塔南谷にあり、初めは青蓮坊といった。第12代行玄大僧正(藤原師実(もろざね)の子)のとき、鳥羽院(とばいん)の皇后美福門院(びふくもんいん)の祈願所として院号を授けられ青蓮院となり、東塔南谷の本坊となった。一方、鳥羽院は1153年(仁平3)に京都三条白川に殿舎を造営、第7皇子覚快(かくかい)親王を入寺させ、以後青蓮院門跡と称して、代々皇族が入寺して天台座主(ざす)を継承した。第62代天台座主慈円(じえん)は歌道にも優れるが、密教にも通じて、その弟子からは法然(ほうねん)(源空)、親鸞(しんらん)を輩出した。とくに親鸞はこの院で出家得度したので本願寺との関係が密になり、明治期までは歴代の本願寺法主は青蓮院で得度した。境内の阿弥陀(あみだ)堂は植髪(うえがみ)堂ともいい、剃髪(ていはつ)した親鸞の髪を童形の坐像(ざぞう)に植えて残している。第17世尊円(そんえん)法親王は能書家として知られ、和様書道の一派青蓮院流(粟田流、尊円流、御家(おいえ)流ともいう)を創始した。室町時代には幕府との関係も深まり、足利(あしかが)氏一族から義円(足利義満(よしみつ)の子)が門跡になったが、のち還俗(げんぞく)して6代将軍義教(よしのり)になったことは有名である。殿舎、諸堂はしばしば兵火や火災にあい、近年では1893年(明治26)本堂をはじめほとんどの堂塔を焼失、1895年、1909年に宸殿(しんでん)、対面所、小御所、玄関などが再建された。本堂(熾盛光堂)は清水竹林院(きよみずちくりんいん)の建物を移築したもの。庭園は華頂山を借景とし、庭園林泉(室町時代、相阿弥(そうあみ)作、史跡・名勝)、霧島(きりしま)の庭(黒書院の庭、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作)、苔(こけ)の庭(好文亭(こうぶんてい)の庭。大森有斐(ゆうひ)作)などの名園がある。庭内の好文亭は、1788年(天明8)御所が炎上したとき、後桜町(ごさくらまち)上皇が仮御所の御学問所として用いたもの。園内には豊臣(とよとみ)秀吉寄進という一文字手水鉢(ちょうずばち)がある。寺宝も多く、日本三不動の一つ「青不動」として名高い絹本著色不動明王二童子像は国宝。国の重要文化財としては宸殿襖絵(ふすまえ)の金地著色浜松の図17面(伝住吉具慶筆)、紙本墨書御消息(ごしょうそこ)(後光厳院(ごこうごんいん)宸筆(しんぴつ))、紺地金泥大灌頂光明真言(だいかんじょうこうみょうしんごん)(光格(こうかく)天皇宸筆)などがあり、そのほか歴聖宸翰(しんかん)、狩野(かのう)派筆画、書跡、古什器(こじゅうき)など数多く蔵されている。[中山清田]
 2014年(平成26)10月には、青蓮院の飛地境内である東山山頂の将軍塚に大護摩堂「青龍殿」(移築再建)と木造の大舞台(新築)を建立。国宝の「青不動」は青龍殿の奥殿に安置されている。[編集部]

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世界大百科事典内の青蓮院の言及

【盲人】より

…盲僧も各地の寺社と結びついて盲僧頭の下に仲間を組織し,小頭・平僧(ひらそう)などの身分を分かち,妙音講に寄合檀那株の相続や紛争処理を議した。盲僧の縄張は漸次当道に侵食されたが,盲僧仲間は当道に対抗するため1783年(天明3)以降京都青蓮院(しようれんいん)の支配下に入った。 ヨーロッパの盲人ギルドのほとんどが乞食の既得権維持に終始して消滅したのに対し,日本の盲人仲間は盲人の職業的自立と文化への寄与に大きな役割を果たした。…

※「青蓮院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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