青蓮院(読み)ショウレンイン

デジタル大辞泉 「青蓮院」の意味・読み・例文・類語

しょうれん‐いん〔シヤウレンヰン〕【青蓮院】

京都市東山区粟田口あわたぐちにある天台宗の寺。天台三門跡寺院の一。比叡山東塔南谷にあった青蓮坊が12代行玄のとき、青蓮院となったのに始まる。仁平3年(1153)鳥羽院が本坊のほかに白川坊舎を建て、皇子覚快法親王が入寺して以来門跡寺院となる。以後、多くの天台座主を当院から出した。粟田御所

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精選版 日本国語大辞典 「青蓮院」の意味・読み・例文・類語

しょうれん‐いんシャウレンヰン【青蓮院】

  1. 京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺。延暦寺三門跡の一つ。最澄が延暦寺の東塔に開いた青蓮坊にはじまり、天養元年(一一四四)天台座主行玄が中興。仁平三年(一一五三鳥羽天皇の皇子覚快法親王が入山して以来門跡となった。第一七世尊円法親王が書道の青蓮院流御家流)を創始。国宝不動明王二童子像(青不動)を蔵する。粟田宮。粟田口御所。東山御所

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日本歴史地名大系 「青蓮院」の解説

青蓮院
しようれんいん

[現在地名]東山区粟田口三条坊町

華頂かちよう山麓に位置し、知恩院に北隣する。西側粟田門前あわたもんぜん通に面して石垣が積まれ、寺域は台地上にある。宸殿を中心に書院・小御所など大小の建物が立並び、方形の本堂(熾盛光堂)は寺地の南端に位置する。山号はない。天台宗。梶井門跡妙法院門跡と並ぶ天台三門跡の一つ。本尊は熾盛光如来。かつては十楽じゆうらく院とも号し、俗に粟田口御所ともよばれる。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔比叡山東塔時代〕

当院は、京中のほかの天台宗の門跡寺院と同じく近江比叡山上にあった天台三千坊の一つとして出発した。その坊は「東塔南谷」(門葉記)に位置し、初め青蓮坊と号したといい、「琳豪法印・勝豪法印之住房」であった(華頂要略)。のち青蓮坊は天台座主行玄に譲られ、久安六年(一一五〇)一〇月四日には「美福門院御祈願所」となり、「東塔南谷之御本坊」となった(同書)。青蓮院の院号はこの時につけられたが、「門葉記」に「当所有小池、称青蓮池」とあり、院号は池名にちなむという。また「彼池棘未埋、冷水依旧」とも記し、池は室町末頃まであったようである。「華頂要略」も「今宝積院南下谷ノ辺ニ青蓮房旧跡ト云ル地アリ。其傍ニ称青蓮水者、今猶存ス。是則青蓮房之根本歟」として、近世においても伝承地があったことを示す。なお比叡山上の青蓮院は建久五年(一一九四)九月二三日に焼失し、建暦二年(一二一二)に再建、嘉暦(一三二六―二九)の頃に転倒し、貞和二年(一三四六)一〇月には東山大谷おおたにの十楽院に移った(門葉記)

〔新青蓮院の造営と移転〕

嘉応元年(一一六九)鳥羽法皇の第七皇子覚快法親王が、天台座主行玄に従って東塔青蓮院で得度するにあたり、親王のために勅して小白川(現東山区)の地に新青蓮院の造営をみ、院の御所に準じた(青蓮院御門跡略伝)。安元二年(一一七六)七月、宣命を発して改めてその旨を定め(門葉記)、ここに青蓮院門跡の法脈が始まる。「円光大師絵詞伝」に文治四年(一一八八)九月四日のこととして「かの法橋慈鎮于時、法印、同宿のあいだ、御料紙安置の所は和尚の住坊三条白川なり。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青蓮院」の意味・わかりやすい解説

青蓮院
しょうれんいん

京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺。粟田口御所(ごしょ)ともよばれ、天台三門跡(もんぜき)の一つ。本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)。開基は最澄(さいちょう)。比叡(ひえい)山上の天台三千坊の一つで東塔南谷にあり、初めは青蓮坊といった。第12代行玄大僧正(藤原師実(もろざね)の子)のとき、鳥羽院(とばいん)の皇后美福門院(びふくもんいん)の祈願所として院号を授けられ青蓮院となり、東塔南谷の本坊となった。一方、鳥羽院は1153年(仁平3)に京都三条白川に殿舎を造営、第7皇子覚快(かくかい)親王を入寺させ、以後青蓮院門跡と称して、代々皇族が入寺して天台座主(ざす)を継承した。第62代天台座主慈円(じえん)は歌道にも優れるが、密教にも通じて、その弟子からは法然(ほうねん)(源空)、親鸞(しんらん)を輩出した。とくに親鸞はこの院で出家得度したので本願寺との関係が密になり、明治期までは歴代の本願寺法主は青蓮院で得度した。境内の阿弥陀(あみだ)堂は植髪(うえがみ)堂ともいい、剃髪(ていはつ)した親鸞の髪を童形の坐像(ざぞう)に植えて残している。第17世尊円(そんえん)法親王は能書家として知られ、和様書道の一派青蓮院流(粟田流、尊円流、御家(おいえ)流ともいう)を創始した。室町時代には幕府との関係も深まり、足利(あしかが)氏一族から義円(足利義満(よしみつ)の子)が門跡になったが、のち還俗(げんぞく)して6代将軍義教(よしのり)になったことは有名である。殿舎、諸堂はしばしば兵火や火災にあい、近年では1893年(明治26)本堂をはじめほとんどの堂塔を焼失、1895年、1909年に宸殿(しんでん)、対面所、小御所、玄関などが再建された。本堂(熾盛光堂)は清水竹林院(きよみずちくりんいん)の建物を移築したもの。庭園は華頂山を借景とし、庭園林泉(室町時代、相阿弥(そうあみ)作、史跡・名勝)、霧島(きりしま)の庭(黒書院の庭、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作)、苔(こけ)の庭(好文亭(こうぶんてい)の庭。大森有斐(ゆうひ)作)などの名園がある。庭内の好文亭は、1788年(天明8)御所が炎上したとき、後桜町(ごさくらまち)上皇が仮御所の御学問所として用いたもの。園内には豊臣(とよとみ)秀吉寄進という一文字手水鉢(ちょうずばち)がある。寺宝も多く、日本三不動の一つ「青不動」として名高い絹本著色不動明王二童子像は国宝。国の重要文化財としては宸殿襖絵(ふすまえ)の金地著色浜松の図17面(伝住吉具慶筆)、紙本墨書御消息(ごしょうそこ)(後光厳院(ごこうごんいん)宸筆(しんぴつ))、紺地金泥大灌頂光明真言(だいかんじょうこうみょうしんごん)(光格(こうかく)天皇宸筆)などがあり、そのほか歴聖宸翰(しんかん)、狩野(かのう)派筆画、書跡、古什器(こじゅうき)など数多く蔵されている。

[中山清田]

 2014年(平成26)10月には、青蓮院の飛地境内である東山山頂の将軍塚に大護摩堂「青龍殿」(移築再建)と木造の大舞台(新築)を建立。国宝の「青不動」は青龍殿の奥殿に安置されている。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「青蓮院」の意味・わかりやすい解説

青蓮院【しょうれんいん】

京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺。本尊熾盛光如来。1144年天台座主(ざす)行玄の開基,延暦寺三門跡(もんぜき)の一つで,粟田口御所とも呼ばれる。皇族や摂関家の子弟が法灯を継ぐとともに,本願寺法主(ほっす)が得度する慣例でもあった。南北朝時代に尊円親王が住し,書道の青蓮院流を開いた。1468年の兵火,さらに1893年の火災で焼失。現在の建物は1895年のもの。青不動や狩野敦信作の宸殿(しんでん)の障壁画,光厳院はじめ天皇の宸翰(しんかん)消息類など寺宝も多い。
→関連項目粟田口織田荘華頂要略葛川尊円親王八瀬

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青蓮院」の意味・わかりやすい解説

青蓮院
しょうれんいん

京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺。粟田宮,粟田口御所ともいう。延暦寺三門跡の一つ。天養1 (1144) 年行玄の開基。初め十楽院と称したが,のち鳥羽上皇の勅により堂宇を造立し,門跡寺院となった。また,台密三味院流の本寺となり,建久~正治年間 (90~1201) 慈鎮和尚が大いに宗風を興した。親鸞が落飾したことから,本願寺の法主がここで得度する例となった。応仁の乱の際,および 1893年に火災にあっている。国宝の『不動明王二童子像』 (→青不動 ) をはじめ,寺宝が多い。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「青蓮院」の解説

青蓮院
しょうれんいん

粟田御所とも。京都市東山区にある天台宗の寺。妙法院・三千院と並ぶ天台三門跡,または曼殊院・毘沙門堂を加えた五門跡の一つ。最澄が東塔に開創した青蓮坊に由来する。のち比叡山下の洛中・洛東に移され,白川坊・吉水坊と称した。平安後期の覚快法親王のとき門跡寺院となり,皇子・皇族・摂関子弟が歴代門主になった。17世尊円入道親王は書に優れ,その流派は青蓮院流(御家流)とよばれる。「不動明王」や青蓮院文書を所蔵。境内は国史跡。

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デジタル大辞泉プラス 「青蓮院」の解説

青蓮院

京都府京都市東山区にある寺院。天台宗。比叡山延暦寺の三門跡のひとつ。本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)曼荼羅。“青不動”と呼ばれる「絹本着色 青不動明王二童子像」は国宝に指定。境内全域が国の史跡に指定されている。

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