当院は、京中のほかの天台宗の門跡寺院と同じく近江比叡山上にあった天台三千坊の一つとして出発した。その坊は「東塔南谷」(門葉記)に位置し、初め青蓮坊と号したといい、「琳豪法印・勝豪法印之住房」であった(華頂要略)。のち青蓮坊は天台座主行玄に譲られ、久安六年(一一五〇)一〇月四日には「美福門院御祈願所」となり、「東塔南谷之御本坊」となった(同書)。青蓮院の院号はこの時につけられたが、「門葉記」に「当所有小池、称青蓮池」とあり、院号は池名にちなむという。また「彼池棘未埋、冷水依旧」とも記し、池は室町末頃まであったようである。「華頂要略」も「今宝積院南下谷ノ辺ニ青蓮房旧跡ト云ル地アリ。其傍ニ称青蓮水者、今猶存ス。是則青蓮房之根本歟」として、近世においても伝承地があったことを示す。なお比叡山上の青蓮院は建久五年(一一九四)九月二三日に焼失し、建暦二年(一二一二)に再建、嘉暦(一三二六―二九)の頃に転倒し、貞和二年(一三四六)一〇月には東山
嘉応元年(一一六九)鳥羽法皇の第七皇子覚快法親王が、天台座主行玄に従って東塔青蓮院で得度するにあたり、親王のために勅して小白川(現東山区)の地に新青蓮院の造営をみ、院の御所に準じた(青蓮院御門跡略伝)。安元二年(一一七六)七月、宣命を発して改めてその旨を定め(門葉記)、ここに青蓮院門跡の法脈が始まる。「円光大師絵詞伝」に文治四年(一一八八)九月四日のこととして「かの法橋慈鎮于時、法印、同宿のあいだ、御料紙安置の所は和尚の住坊三条白川なり。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺。粟田口御所(ごしょ)ともよばれ、天台三門跡(もんぜき)の一つ。本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)。開基は最澄(さいちょう)。比叡(ひえい)山上の天台三千坊の一つで東塔南谷にあり、初めは青蓮坊といった。第12代行玄大僧正(藤原師実(もろざね)の子)のとき、鳥羽院(とばいん)の皇后美福門院(びふくもんいん)の祈願所として院号を授けられ青蓮院となり、東塔南谷の本坊となった。一方、鳥羽院は1153年(仁平3)に京都三条白川に殿舎を造営、第7皇子覚快(かくかい)親王を入寺させ、以後青蓮院門跡と称して、代々皇族が入寺して天台座主(ざす)を継承した。第62代天台座主慈円(じえん)は歌道にも優れるが、密教にも通じて、その弟子からは法然(ほうねん)(源空)、親鸞(しんらん)を輩出した。とくに親鸞はこの院で出家得度したので本願寺との関係が密になり、明治期までは歴代の本願寺法主は青蓮院で得度した。境内の阿弥陀(あみだ)堂は植髪(うえがみ)堂ともいい、剃髪(ていはつ)した親鸞の髪を童形の坐像(ざぞう)に植えて残している。第17世尊円(そんえん)法親王は能書家として知られ、和様書道の一派青蓮院流(粟田流、尊円流、御家(おいえ)流ともいう)を創始した。室町時代には幕府との関係も深まり、足利(あしかが)氏一族から義円(足利義満(よしみつ)の子)が門跡になったが、のち還俗(げんぞく)して6代将軍義教(よしのり)になったことは有名である。殿舎、諸堂はしばしば兵火や火災にあい、近年では1893年(明治26)本堂をはじめほとんどの堂塔を焼失、1895年、1909年に宸殿(しんでん)、対面所、小御所、玄関などが再建された。本堂(熾盛光堂)は清水竹林院(きよみずちくりんいん)の建物を移築したもの。庭園は華頂山を借景とし、庭園林泉(室町時代、相阿弥(そうあみ)作、史跡・名勝)、霧島(きりしま)の庭(黒書院の庭、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作)、苔(こけ)の庭(好文亭(こうぶんてい)の庭。大森有斐(ゆうひ)作)などの名園がある。庭内の好文亭は、1788年(天明8)御所が炎上したとき、後桜町(ごさくらまち)上皇が仮御所の御学問所として用いたもの。園内には豊臣(とよとみ)秀吉寄進という一文字手水鉢(ちょうずばち)がある。寺宝も多く、日本三不動の一つ「青不動」として名高い絹本著色不動明王二童子像は国宝。国の重要文化財としては宸殿襖絵(ふすまえ)の金地著色浜松の図17面(伝住吉具慶筆)、紙本墨書御消息(ごしょうそこ)(後光厳院(ごこうごんいん)宸筆(しんぴつ))、紺地金泥大灌頂光明真言(だいかんじょうこうみょうしんごん)(光格(こうかく)天皇宸筆)などがあり、そのほか歴聖宸翰(しんかん)、狩野(かのう)派筆画、書跡、古什器(こじゅうき)など数多く蔵されている。
[中山清田]
2014年(平成26)10月には、青蓮院の飛地境内である東山山頂の将軍塚に大護摩堂「青龍殿」(移築再建)と木造の大舞台(新築)を建立。国宝の「青不動」は青龍殿の奥殿に安置されている。
[編集部]
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粟田御所とも。京都市東山区にある天台宗の寺。妙法院・三千院と並ぶ天台三門跡,または曼殊院・毘沙門堂を加えた五門跡の一つ。最澄が東塔に開創した青蓮坊に由来する。のち比叡山下の洛中・洛東に移され,白川坊・吉水坊と称した。平安後期の覚快法親王のとき門跡寺院となり,皇子・皇族・摂関子弟が歴代門主になった。17世尊円入道親王は書に優れ,その流派は青蓮院流(御家流)とよばれる。「不動明王」や青蓮院文書を所蔵。境内は国史跡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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