下司(読み)ゲシ

デジタル大辞泉 「下司」の意味・読み・例文・類語

げ‐し【下司】

身分の低い役人。特に、中世、荘園の現地で実務を行った荘官のこと。京都にいる荘官の上司に対していう。げす。

した‐づかさ【下司】

地位の低い役人。げす。げし。
部下の役人。下役したやく
四道将軍の―武官吉備の武彦声をかけ」〈浄・日本武尊

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精選版 日本国語大辞典 「下司」の意味・読み・例文・類語

した‐づかさ【下司】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 地位の低い役人。げす。げし。〔日葡辞書(1603‐04)〕
    1. [初出の実例]「かかる所へ式部省の下司(ヅカサ)。春藤玄番の允友景罷出庭上に頭をさげ」(出典:浄瑠璃菅原伝授手習鑑(1746)一)
  3. 部下の官吏。下役(したやく)
    1. [初出の実例]「さらばと云て相国の下づかさにされたぞ」(出典:寛永刊本蒙求抄(1529頃)一)

げ‐し【下司・下主】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 身分の低い官人。したづかさ。
    1. [初出の実例]「禁裏、堂上方、御門跡等の筋、高家を下司とすべし」(出典:政談(1727頃)三)
  3. 平安末期から中世にかけて、荘園の現地にあって荘務をつかさどった荘官。預所以上の上司に対していう。
    1. [初出の実例]「庄専当大中臣安元、預同安延、下司寂安」(出典:白河本東寺百合文書‐八五・承保三年(1076)一月二三日・東寺領伊勢国大国荘司解案)

げ‐す【下司・下主】

  1. 〘 名詞 〙げし(下司)

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百科事典マイペディア 「下司」の意味・わかりやすい解説

下司【げし】

〈げす〉とも読む。荘園で荘務を行う下級役人(下級荘官)。在京の役人である上司(在京荘官)に対していう。年貢(ねんぐ)・公事(くじ)・夫役(ぶやく)などの徴収に当たり,領主から給田・下司名(みょう)を得た。鎌倉幕府の成立とともに御家人となり地頭になるものもあった。
→関連項目足利荘鵤荘伊作荘石黒荘相賀荘大井荘大田荘大庭御厨奥島織田荘柏木御厨革島荘楠葉牧久世荘黒田荘久我荘島津忠久島津荘荘官相馬御厨垂水荘鞆淵荘名田荘新田荘幡多荘波々伯部保拝師荘(拝志荘)日置荘日根荘平野殿荘南部荘和佐荘

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改訂新版 世界大百科事典 「下司」の意味・わかりやすい解説

下司 (げし)

〈げす〉ともいう。本来上司(うえつかさ)に対する下司(したつかさ)で,身分の低い官人の意であるが,普通中世荘園において,在京荘官の預所(あずかりどころ)を上司あるいは中司というのに対して,現地にあって公文(くもん),田所,惣追捕使等の下級荘官を指揮し,荘田荘民を管理し,年貢・公事の進済に当たる現地荘官の長をいう。惣公文と呼ばれることもある。このような下司の史料上の初見は,長徳2年(996)10月3日の伊福部利光治田処分状案(《光明寺文書》)に,〈甲賀御荘下司出雲介〉とあるものであるが,この史料はやや孤立した存在で,下司が頻出するのは,公文,田所などと同じく11世紀後半以降である。〈下司職〉の初見は,元永1年(1118)11月20日,大中臣則平を美濃国大井荘下司職に補任した三善某下文(《東南院文書》)である。下司は本所によって補任ないし相続安堵されるが,開発(在地)領主がその所領を寄進して下司となるものと,本所が選任して派遣するものとがある。とくに一般的なのは前者の場合で,その職務と権利は子孫に相続される。鎌倉前期,東寺領の摂津国垂水(たるみ)荘の下司藤原家行と公文の藤井重綱は,預所と争い〈寺務者一代管領之,下司・公文者為重代地下之明鏡也〉〈一且補任預所等難改地下沙汰〉と主張している。下司は他の荘官と同じく得分がみとめられている。その中心は給田と下司名であるが,開発領主が下司となった場合は,その他の伝統的得分を保持した。高野山領の備後国大田荘桑原郷の下司橘兼隆の建久年間(1190-99)当時の得分は,下司給田3町,下司名田30町,免家数十宇(全在家の2割程度と思われる)のほか,段別5升の加徴米,名別2~5升の上分米,在家苧など10項目にもおよぶ。平均的に見れば,鎌倉時代の地頭の前身が下司である場合が多いことからみて,11町に1町の給田,段別5升の加徴米という新補率法の地頭得分を下司得分の目安とすることができよう。

 鎌倉幕府が成立すると,下司のうちかなりの部分が御家人化し,彼らの下司職の多くは地頭職に切り替わっていった。地頭には本所の改替権が及ばず,また地頭と称さずとも御家人化した場合には,〈所々下司荘官以下,仮其名於御家人,対捍国司領家之下知〉と《御成敗式目》に見えるように,荘官としての一面を保持しつつも,むしろ荘田・荘民を自己の支配下にとり込み,独自の領主化をすすめた。こうして下司はしだいに史料上の所見が減じ,本所側の荘官としては雑掌(ざつしよう)が頻出するにいたる。なお下司の下にその被官などを下司代としておくこともあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下司」の意味・わかりやすい解説

下司
げし

「げす」とも読む。

(1)役人で、上司に対して卑賤(ひせん)な職掌のものをいう。

(2)荘園(しょうえん)の現地にあって荘務を執行するものをいう。荘園領主政所(まんどころ)で荘園のことを扱う上司、上司と荘園現地の間の連絡にあたる中司(預(あずかり))に対して、現地で実務にあたるものを「荘の下司」(荘司(しょうじ))といった。所領を寄進した在地の領主(地主)がそのまま下司に任命される場合と、荘園領主から任命されて現地に赴任するものとがあった。下司は荘地・荘民を管理し、年貢・公事(くじ)を荘園領主に進済する。代償として給田(きゅうでん)・給名(きゅうみょう)を与えられたほか、佃(つくだ)を給されたり、加徴米や夫役(ぶやく)の徴収を認められたりした。平安末期には、在地の下司は世襲となり、国衙(こくが)領の郡司職(ぐんじしき)・郷司職(ごうじしき)を兼帯して、それらの職(しき)を足掛りにして在地領主として成長し武士化するものが多かった。鎌倉幕府は、そのような在地領主層を御家人(ごけにん)として組織することによって成立したものであった。

[阿部 猛]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「下司」の解説

下司
げし

「げす」とも。荘園の現地で荘務を執行する荘官。下司に対する上司は,荘園領主から派遣される預所(あずかりどころ)などであった。本来は,現地での荘務にあたる荘官の長であり,荘司と同意だったが,平安後期以降の荘園では,公文(くもん)や田所(たどころ)などと並び,給田や給名を支給される荘官の一つとなる。世襲化して,鎌倉幕府成立以後には地頭や御家人になる者もいた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「下司」の解説

下司
げし

荘園において実際の荘務を行う荘官の一つ
「げす」とも読む。「荘の下司」を略してふつう荘司といった。本来,領主の政所 (まんどころ) などにいて荘務を総轄する上級役人すなわち上司や,預所 (あずかりどころ) などの上級荘官すなわち中司に対していう。一般に在地の有力者が任命される場合が多く,平安末期から世襲化・武士化していく傾向が強かった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下司」の意味・わかりやすい解説

下司
げし

「したづかさ」「げす」ともいう。中世以後,現地で荘園の事務を司った荘官の下級役人をさす。それに対し中級役人を中司,上級役人を上司といった。

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世界大百科事典(旧版)内の下司の言及

【下司】より

…〈げす〉ともいう。本来上司(うえつかさ)に対する下司(したつかさ)で,身分の低い官人の意であるが,普通中世荘園において,在京荘官の預所(あずかりどころ)を上司あるいは中司というのに対して,現地にあって公文(くもん),田所,惣追捕使等の下級荘官を指揮し,荘田・荘民を管理し,年貢・公事の進済に当たる現地荘官の長をいう。惣公文と呼ばれることもある。…

【荘官】より

…広義には中央で荘園の総括的管理にあたる預所や,鎌倉幕府が荘園においた地頭も荘官であるが,普通は荘園現地にあってその管理にあたる荘家の構成者をいう。11世紀以前には荘長,荘別当,荘検校,専当,預などが多く,12世紀以降には,下司(げし),案主,公文,田所,惣追捕使などが一般的である。後者にあっては下司はその筆頭であり,惣公文と呼ばれることもあった。…

※「下司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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