美多庄(読み)みたのしよう

日本歴史地名大系 「美多庄」の解説

美多庄
みたのしよう

現西ノ島町域にあった庄園。西ノ島東端の宇賀うか牧を除く地域がその庄域であったと推定される。美田・弥陀とも記す。平安期の知夫ちぶり三田みた郷が庄園に転化したものと考えられる。建治二年(一二七六)九月五日の佐々木泰清袖判下文(笠置家文書、以下断りのない限り同文書)に美多庄とみえ、僧慈蓮に当庄大山おおやま禰宜職を安堵している。翌年四月には当時隠岐国守護代であったと推定される高岡宗泰が慈蓮は八郎殿(泰清の八男高岡宗泰であろう)の御殿人だとして、代官・沙汰人らが勝手に慈蓮を処分することのないよう命じている(高岡宗泰袖判下文)。建武元年(一三三四)五月六日、地家(地下か)代官の沙弥西願と公文僧道賢が領主の命を受けて大山宮禰宜分の麹料畠を禰宜に打渡しており(沙弥西領僧道賢連署打渡状)、当時現地にいる代官とその配下の公文(笠置氏)によって統治されていたことが知られる。

暦応元年(一三三八)八月の沙弥某補任状は能賢(笠置氏か)に美多庄一分方国作公文給田を与えたものであるが、一分方と二分方(応永三四年四月一六日某安堵状)に区分され、公文も地頭方と領家方に分れていたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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