群房庄(読み)ぐんぼうのしよう

日本歴史地名大系 「群房庄」の解説

群房庄
ぐんぼうのしよう

平安時代末期より史料に現れる庄園であるが、庄域は明らかでない。庄内広瀬ひろせ郷が現館山市広瀬に比定され、また現三芳みよし御庄みしようは当庄に由来する地名ともいわれる。江戸時代の郡域では御庄へい(古代の平群郡)、広瀬は安房郡に属し、両所とも郡境に位置している。庄名を「へぐりあわのしょう」の意ととれば庄域も両郡にわたる一帯と想定することができる。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文案(新熊野神社文書)に「安房国群房庄」とみえ、当庄は永暦年間(一一六〇―六一)後白河院により仏聖灯油料として京都新熊野いまくまの社に寄進され、養和元年に勅事・院事・臨時国役などの諸役が免除になっている。新熊野社は領家職をもち、本家は五辻斎院(鳥羽天皇皇女頌子内親王)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む