日本歴史地名大系 「群房庄」の解説 群房庄ぐんぼうのしよう 千葉県:館山市群房庄平安時代末期より史料に現れる庄園であるが、庄域は明らかでない。庄内の広瀬(ひろせ)郷が現館山市広瀬に比定され、また現三芳(みよし)村御庄(みしよう)は当庄に由来する地名ともいわれる。江戸時代の郡域では御庄は平(へい)郡(古代の平群郡)、広瀬は安房郡に属し、両所とも郡境に位置している。庄名を「へぐりあわのしょう」の意ととれば庄域も両郡にわたる一帯と想定することができる。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文案(新熊野神社文書)に「安房国群房庄」とみえ、当庄は永暦年間(一一六〇―六一)後白河院により仏聖灯油料として京都新熊野(いまくまの)社に寄進され、養和元年に勅事・院事・臨時国役などの諸役が免除になっている。新熊野社は領家職をもち、本家は五辻斎院(鳥羽天皇皇女頌子内親王)であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by