羽根尾村(読み)はねおむら

日本歴史地名大系 「羽根尾村」の解説

羽根尾村
はねおむら

[現在地名]長野原町羽根尾

立石たついし村の西、吾妻川上流左岸にあり、集落は河岸段丘面に街村状に分布する。同川沿いに信州への道が通る。「延喜式」左右馬寮の「沼尾牧」を当地一帯とする説がある。羽根尾は中世までは、四阿あずまや山を信仰する羽尾氏の本拠でもあったと考えられる。一方、「沼尾」は「治尾」の意であるとし、吾妻川下流右岸、榛名はるな山より流れ出る沼尾ぬまお川流域とする説もある。嘉吉三年(一四四三)二月二三日の良慶処分状(下屋文書)にみえる「はねを」は当地とも考えられる。永禄五年(一五六二)三月二六日の武田信玄書状写(「鎌倉系図」所収)によると、鎌原重澄が信州に退去したので、「羽尾領」での知行に相当する分を「海野之領」から知行することになった。同七年二月一七日には本領草津くさつ(現草津町)のほか先約の「羽尾領内立石・長野(原カ)」の一七〇貫文が湯本善太夫に宛行われている(武田信玄判物写「加沢記」所収)

羽根尾村
はねおむら

[現在地名]小田原市羽根尾

東端を塔台とうだい川が流れ、東・北は中村原なかむらはら、西は上町かのまち村、南は前川まえがわ村に接する。東海道・大山道が通る。正保国絵図に「羽根尾」とある。「風土記稿」はもと中村原と一村とする。近世は小田原藩領。小田原藩領の東境で、箱根関所通行違犯者は足軽に付添われこの境まで追返された(箱根関所日記書抜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報