日本歴史地名大系 「耕野村」の解説 耕野村こうやむら 宮城県:伊具郡丸森町耕野村[現在地名]丸森町耕野阿武隈川左岸に立地し、対岸東は丸森村。左岸北東は川張(かわはり)村。西は刈田(かつた)郡平(たいら)村(現白石市)、西南は五十沢(いさざわ)村(現福島県伊達郡梁川町)。集落は、北東流する阿武隈川に注ぐ芦(あし)沢・大和(やまと)沢・茗荷(みようが)沢に沿って点在する。村名が野山を田畑に耕したことに由来するというだけに、平坦地は少ない。天正一七年(一五八九)伊達政宗は領内諸郷の動員調査を行ったが、その記録とされる「伊達天正日記」のうち里野臥日記に耕野の屋敷・百姓の名がみえる。慶長一八年(一六一三)六月一五日の伊達政宗役代申付黒印状写(伊達家文書)によれば、木沼(きぬま)村の宗吽(そううん)院に筆甫(ひつぽ)村・川張村・大蔵(おおくら)村などとともに高野(こうや)の「山伏、じゆんれい、御子太夫役」が与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by