聖道小路
しようどうこうじ
近世初頭に用いられた古府中村日影組の街路。名称は武田信玄の次男竜芳(別称お聖道様)の屋敷が建てられたことに由来するが、戦国期の街路名称としては確証を欠く。信玄が躑躅が崎館の鬼門守護として相模国から愛宕社を聖道小路に勧請したといい(甲斐叢記)、その別当を務める宝蔵院も同所にあった(甲斐国志)。貞享三年(一六八六)の御直図(武田神社蔵)などによれば、愛宕社の旧地は現古府中町の日影公会堂一帯に比定され、ここを東西に横切る街路が聖道小路と推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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