聚富村(読み)しつぷむら

日本歴史地名大系 「聚富村」の解説

聚富村
しつぷむら

[現在地名]厚田郡厚田村大字聚富村

明治初年(同二年八月―同六年)から明治三五年(一九〇二)までの厚田郡の村。郡南端に位置し、南と東は石狩郡、北は望来(もうらい)村、西は海。近世はシュップ、シリアツカリなどと記録される地域。明治四年四月に旧仙台藩主伊達氏の一族伊達邦直と旧家臣らが移住して開墾に着手した。しかし砂土で土地がやせていたため再度石狩郡当別(とうべつ)村(現当別町)へ移った(状況報文)。「石狩国地誌提要」によると戸口は三戸・一三人(永住三戸、男九・女四)。畑二町三段余、筒船三・磯船二。同二〇年の現住人員は四三人(道戸口表)。同二三年になって工藤某が知津狩(しらつかり)川沿岸などに二〇万余坪の貸付けを受けて小作開墾に着手した(状況報文)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

東日本大震災を受け2011年6月に成立した津波対策推進法で、故事「稲むらの火」にちなみ、11月5日と定めた。江戸時代の1854年11月5日(旧暦)、安政南海地震で大津波が発生。現在の和歌山県広川町で...

津波防災の日の用語解説を読む