肥後島町(読み)ひごじまちよう

日本歴史地名大系 「肥後島町」の解説

肥後島町
ひごじまちよう

[現在地名]北区中之島なかのしま二丁目

上中之島かみなかのしま町の西にあり、西は肥後橋ひごばし筋まで。「宝暦町鑑」に「ひごばし北詰より東へうら側とも、東ハ川越蔵屋敷迄」とある。貞享三年(一六八六)比丘尼びくに新地が開かれるまで、上中之島町との間は南北水路があり、比丘尼橋が架かっていた。

大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数六・役数六役で、うち年寄分一役が無役。年寄は石屋正斎。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図町名がみえ、「難波鶴」によると備中松山・肥前小城両藩蔵屋敷があった。貞享四年新撰増補大坂大絵図も同様であるが、元禄年間の大坂三郷町絵図では甲斐谷村藩秋元氏、大和郡山藩となり、文化三年(一八〇六)増修改正摂州大阪地図では出羽山形藩秋元氏、長門府中藩で、文久三年(一八六三)改正増補国宝大阪全図も同様であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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