日本歴史地名大系 「能満村」の解説 能満村のうまんむら 千葉県:市原市能満村[現在地名]市原市能満藤井(ふじい)村の東に位置する。能万ともみえ、古くは久保(くぼ)・志久(しく)の二地区であったという。上総国分寺と同型の瓦を出土した千草(ちぐさ)廃寺がある。東(ひがし)宿(しゆく)・西宿(にしじゆく)・箕輪(みのわ)・馬場(ばば)ノ内(うち)のほか、上味噌柵(かみみそさく)・西四辻(にしよつじ)などの地名があり、城山(しろやま)・城(しろ)ノ下(した)を含む一帯は中世の城跡とみて能満城または府中(ふちゆう)城の跡とする。国府の所在した地として中世には府中と称されたようである。応永九年(一四〇二)六月一日の懸仏銘(泉水たかむら氏蔵)に「上総国国府中国庁 国御目代日高弾正朝光沙弥道光」とみえる。天正一八年(一五九〇)五月の豊臣秀吉禁制(榊原家文書)には市原庄内として府中とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by