能瀬村(読み)のせむら

日本歴史地名大系 「能瀬村」の解説

能瀬村
のせむら

[現在地名]津幡町能瀬

河北潟に注ぐ能瀬川下流の沖積地および丘陵麓に位置。南は舟橋ふなばし村。能登街道に沿う。

〔中世〕

英田南あがたみなみ保の内で、能勢とも記された。正平九年(一三五四)一一月二二日、南朝が摂津水無瀬みなせ神宮(現大阪府島本町)を創立させ、その社領として寄進したなかに「加賀国南県庄地頭職能勢判□□(官代)、同一族等跡」とみえる(「後村上天皇綸旨」水無瀬神宮文書)。「伺事記録」延徳二年(一四九〇)九月二六日条に「梶井宮雑掌申加賀国英田南保号能勢三ケ村事」とあり、畠山政長被官の斎藤四郎が強入部をするので、梶井門跡がこれを制止する幕府奉書の下付を求めている。「天文日記」によると、天文七年(一五三八)九月九日幕府奉公衆斎藤備前守家好が「能勢事」申付を証如に依頼すると、証如は以前から度々の申付依頼を不審がり、同月一七日家好の知行は能勢ではなく、同五年一〇月二八日に申付けた「河北南英田」であると断じ、申付を拒んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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