能茶山(読み)のうさやま

日本歴史地名大系 「能茶山」の解説

能茶山
のうさやま

[現在地名]高知市鴨部

鴨部かもべ東部かがみ川と神田こうだ川の中間にある小丘で、幕末に藩営の窯が開かれた。

二代藩主山内忠義の時に始められた尾戸焼が、文政三年(一八二〇)他国から移入していた石焼物を国産化して藩の内外に売りさばき利益を図ろうという藩の政策によって差止になった。代わって尾戸焼の原土を出したこの能茶山に窯が移され、同五年尾戸焼の技術を伝えた森田家・山崎家も当地に移った。当初、石焼の技術がうまくゆかず、肥前の樋中富蔵・讃岐の山下市郎左衛門らの熟練工を招き、さらには九州の職人を雇い天草石を取寄せ、天保初年やっと優れた製品が産出されるようになった。天草石を取寄せての製品化では収支が合わず、幡多はた医法いのり(現宿毛市)より取寄せるなどして経営の安定化を図った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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