日本歴史地名大系 「鴨部村」の解説 鴨部村かもべむら 鳥取県:西伯郡西伯町鴨部村[現在地名]西伯町鴨部落合(おちあい)村の南、法勝寺(ほつしようじ)川中流の沖積平野の展開部に位置し、法勝寺往来に沿う。鴨部川谷をさかのぼって、容易に山田(やまだ)谷の徳長(とくなが)村に達することができる。「和名抄」記載の会見(あいみ)郡鴨部郷の遺称地。藩政期の拝領高は四七七石余、本免は五ツ二分。米子荒尾氏の給所であった(給人所付帳)。幕末の六郡郷村生高竈付では生高五五六石余、竈数六一。「伯耆志」では家数七四・人数二三〇、林三〇町余。 鴨部村かもべむら 高知県:高知市鴨部村[現在地名]高知市鴨部・鴨部高(かもべたか)町・旭(あさひ)町・下島(しもじま)町・鏡川(かがみがわ)町神田(こうだ)村の北西にあり、西は朝倉(あさくら)村、北は杓田(ひしやくだ)村。北部を鏡川が東流、その北を高知城下上(かみ)町から出て西方諸地域へ向かう往還が通る。この往還は当村西北部で二本に分れ、北は伊予国へ至る松山街道、南は幡多(はた)郡中(なか)村(現中村市)・宿毛(すくも)に至る土佐街道(西街道)となる。村内は東部に小高い能茶(のうさ)山があるほかはほとんどが鏡川の流した土砂の堆積と浦戸(うらど)湾の隆起によって形成された平地で占められる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報