脇浜村(読み)わきのはまむら

日本歴史地名大系 「脇浜村」の解説

脇浜村
わきのはまむら

[現在地名]貝塚市脇浜わきはま一―四丁目・脇浜・しん町・海塚うみづか三丁目・加神かしん二丁目

近木こぎ川右岸河口部に位置し、大阪湾に面する海岸低地の村。村域を紀州街道が縦断して北隣の貝塚寺内に通じており、江戸時代中期以降、街道沿いに町場が延伸し、脇浜新わきのはましん町とよばれる小名を形成した。日根郡に属する。慶長九年(一六〇四)検地による村高は三九三石余(「万事入用留」要家文書)。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳では四九二石余となり(うち山年貢四斗余)、元文年中改和泉国四郡郷村高帳には新開八四石余が記される。


脇浜村
わきのはまむら

[現在地名]中央区脇浜町一―三丁目・割塚通わりづかどおり一―三丁目・大日通だいにちどおり一―三丁目・宮本通みやもとどおり一―二丁目・北本町通きたほんまちどおり一―六丁目・南本町通みなみほんまちどおり一―六丁目・真砂通まさごどおり一―二丁目

小野おの新田の東、大阪湾に面する海浜村。山陽道が通る。慶長国絵図に脇浜村とみえ、高五一六石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では同高で旗本舟越領。舟越氏は徳川家康の執り成しで慶長四年(一五九九)豊臣秀吉から領地拝領という(寛政重修諸家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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