精選版 日本国語大辞典 「岩橋善兵衛」の意味・読み・例文・類語 いわはし‐ぜんべえ【岩橋善兵衛】 江戸中期の和泉の人。号耕柳堂。日本で初めて天体望遠鏡を製作し、窮天鏡と名づける。著「平天儀図解」。宝暦六~文化八年(一七五六‐一八一一) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩橋善兵衛」の意味・わかりやすい解説 岩橋善兵衛いわはしぜんべえ(1756―1811) 江戸時代の望遠鏡製作者。和泉(いずみ)国貝塚(大阪府貝塚市)に生まれ、名は嘉孝(よしたか)、号は耕珋堂(こうりゅうどう)。眼鏡の玉を磨いてその販売を業としたが、1790年ごろ(寛政(かんせい)の初め)から望遠鏡を製作し、販売した。幕府の天文台や伊能忠敬(いのうただたか)も善兵衛のものを使用した。その性能は舶来のものにも劣らなかったという。1802年(享和2)に日月星辰(せいしん)の運行、潮の干満などの早繰り図の『平天儀』、これを解説した『平天儀図解』を著した。文化(ぶんか)8年5月25日没。[渡辺敏夫][参照項目] | 伊能忠敬 | 望遠鏡 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩橋善兵衛」の解説 岩橋善兵衛 いわはし-ぜんべえ 1756-1811 江戸時代中期-後期の技術者。宝暦6年生まれ。寛政のころ,わが国はじめての望遠鏡をつくり,「窺天(きてん)鏡」と命名。伊能忠敬(いのう-ただたか)や幕府の天文方も使用した。文化8年5月25日死去。56歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。名は嘉孝。号は耕珋堂(こうりゅうどう)。著作に「平天儀図解」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例