日本歴史地名大系 「腹太村」の解説 腹太村はらふとむら 三重県:松阪市腹太村[現在地名]松阪市腹太町祓(はらい)川が村域の南から東へ蛇行し、西は六根(ろつこん)村に続き、北は多気(たき)郡志貴(しき)村(現明和町)に接する。中世後期まで伊勢神宮領が成立していたと考えられ、「氏経神事記」の寛正七年(一四六六)四月条に「服(腹)太御薗」の名があり、「毎年上分三百文可進也」とある。天文一五年(一五四六)書写の神服部内戸納帳(「神服大神部・神部家文書」神宮文庫蔵)には「腹太 東光寺」の記載がみられる。「飯野郡腹太村誌」(松阪市役所機殿出張所蔵)によれば、南北朝期に仁木義長の押領があり、応仁の乱後北畠氏の支配に属したとされる。天正一二年(一五八四)に蒲生氏の支配下になり、同一八年から鳥羽九鬼氏の支配に属した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by