臣民の道

山川 日本史小辞典 改訂新版 「臣民の道」の解説

臣民の道
しんみんのみち

「東亜新秩序建設の歴史的使命」と国民道徳のあり方を説いた文部省教学局の著作。1941年(昭和16)7月に刊行され,高度国防国家もとでの臣民としての心得と日常生活のあり方を詳細に説いた。1937年刊の「国体本義」と並ぶ政府の正統的国体論。その内容は大東亜共栄圏建設という地理的広がりをもち,国民生活の隅々にまで及んでいた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の臣民の道の言及

【淳風美俗】より

… 1935年〈国体明徴〉運動(国体明徴問題)が軍部を中心としてひきおこされて後は〈国体観念〉が権力的に強制され,淳風美俗はわずかに教育刷新評議会の答申(1936)の中に〈良風美俗ノ発揚ニ努メル〉と字句をかえて登場する程度になった。国体観念の中核の一つが家族国家観であり,高度国防国家体制のもとで文部省教学局編纂(へんさん)の《臣民の道》(1941)は家が集まって国をつくるのではなく,国すなわち家で,個々の家は国を本とし,臣民は〈遊ぶ閑,眠る間と雖も国を離れた私はなく〉と説いた。このように臣民は片時も私人であることを許されないとされたが,他方家庭の和合だんらんが説かれ,その根底として〈親子の自然の情〉が強調された(文部省〈戦時家庭教育指導要項とその説明書〉,1943)。…

【太平洋戦争】より

…この考え方が,あらゆる場所で国家権力による強制をともなって広められ,実践に移された結果,兵士の生命を軽視した無謀な戦術や自決の強要などによって,戦争の犠牲者を増大させる大きな原因となった。さらに同年7月21日に刊行された文部省教学局《臣民の道》は,文部省《国体の本義》(1937年5月31日刊)の日本主義国体論を受け継ぎ,〈天皇への帰一〉と〈滅私奉公〉による国家への奉仕を国民に要求したが,この二つの文書こそ,太平洋戦争下の国民の精神生活を規制した基本的文献であった。言論と出版に対する統制も強められた。…

【文部省】より

…教育内容の決定とその監督行政は国家事務として文部省が掌握し,国家統制を行った。日中戦争から太平洋戦争にかけては,《国体の本義》(1937),《臣民の道》(1941)を編集・刊行して国体思想を鼓吹したように,一貫して軍国主義的・超国家主義的教育政策を遂行した。 敗戦直後から文部省の戦争責任を追及する声が高まり,文部省を廃止し,代わって中央教育委員会を置くという改革案が政府審議会からも提起された。…

※「臣民の道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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