槍術(そうじゅつ)(管槍(くだやり))の一流派。流祖は羽州(うしゅう)上ノ山(かみのやま)(山形県上山市)藩主・土岐山城守頼行(ときやましろのかみよりゆき)(1608―84)。彼は幼少から槍術を好み、1629年(寛永6)松本理左衛門定好(さだよし)に一旨(いっし)(一指)流の奥義を受け、たまたま紫衣(しえ)事件で同藩にお預けになった沢庵(たくあん)に師事し、自ら妙悟するところを加味して、自得記流と称し、藩中に学ばせた。家臣の上村小左衛門忠徳(かみむらこざえもんただのり)がその伝を継ぎ、以後、同藩の御流儀(ごりゅうぎ)として、駿州(すんしゅう)(静岡)田中、上州(群馬)沼田へ転封後もよく伝系をつなぎ、幕末には、講武所槍術師範役を勤めた平岩次郎大夫(ひらいわじろうだゆう)(駿河守(するがのかみ))を出した。
[渡邉一郎]
一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...