舟岡城跡(読み)ふなおかじようあと

日本歴史地名大系 「舟岡城跡」の解説

舟岡城跡
ふなおかじようあと

[現在地名]鶴来町八幡町

手取川右岸の独立丘陵舟岡山(一七八・七メートル)にあった山城つるぎ城・八幡はちまん城・白山しらやま城ともいう。「三州志」によると、長享年間(一四八七―八九)頃に坪坂平九郎が居城としたと伝え、のち若林長門(若林長門守)が拠ったが、天正八年(一五八〇)織田信長の家臣佐久間盛政によって奪われたという。同一一年前田利家は高畠織部(高畠石見守定吉)を城将とし、同一三年・慶長四年(一五九九)にも城の守りを命じ(同書)、同年間に定吉が金沢城下に移ったのち廃城となったとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む