船唐津免(読み)ふなとうづめん

日本歴史地名大系 「船唐津免」の解説

船唐津免
ふなとうづめん

[現在地名]鷹島町船唐津免

鷹島村の南西部、三里さんり村の西に位置する。船唐津は古く唐の津と称され、遣唐使船などの風待ち湊であったが、モンゴル襲来で全滅したという。文永・弘安の激戦地跡と伝える場所があり、軍勢の上陸地という東浜、文永の役で山里に隠れていた一家が殺されたという開田ひらきだの七人塚、弘安の役で水陸両方から攻撃があったというコウジゴモリ、元軍を斬首したと伝える中川の首除なかがわのくびのきなどの史跡がある。弘安の役ではモンゴル軍残敵掃討戦の基地となったため多くの将兵が殺され、島民の犠牲者も多数にのぼった(八幡愚童訓)。弘安九年(一二八六)三月日の豊後国御家人都甲惟親軍忠状(都甲文書)にみえる「東浜」は船唐津免に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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