日本歴史地名大系 「船橋五日市村」の解説 船橋五日市村ふなばしいつかいちむら 千葉県:船橋市船橋五日市村[現在地名]船橋市宮本(みやもと)一―九丁目・東船橋(ひがしふなばし)一―七丁目・市場(いちば)一―五丁目・駿河台(するがだい)一―二丁目・中野木(なかのき)一丁目・本町(ほんちよう)五丁目船橋九日市(ふなばしここのかいち)村の東方に位置し、南側は江戸湾に臨む。五日市の名は室町時代の五の日の市にちなむ。古代以来の意富比(おおひ)神社が鎮座し、その門前町であるとともに、船橋宿の一角、海運の河岸として発展したが、農業地区としても一大産地であった。江戸時代は五日市村ともみえ、また船橋村のうちとして一括される場合がある。意富比神社の西下は成田道と上総道(房総往還)の分岐点。地内慈雲(じうん)寺に元応元年(一三一九)銘の武蔵型板碑がある。天正一七年(一五八九)一二月二七日の高城胤則判物(船橋大神宮文書)に五日市場百姓とみえる。城(しろ)ノ腰(こし)に水城の船橋城があったとされるが未詳。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by