日本歴史地名大系 「船越城跡」の解説 船越城跡ふなこしじようあと 長崎県:諫早市船越村船越城跡中世の城館の跡。遺構は明らかでなく、大屋敷(おおやしき)・大城戸(だいじようご)・上(うえ)ノ馬場(ばば)などの地名が残る一帯と推定されている。鎌倉末期に船越又次郎入道如覚・船越次郎家通らがみえるが、これら船越氏が当地に拠点を置く者とすれば、この頃から居館を設けていた可能性があり、のち城砦化したのであろう。応安七年(一三七四)九州探題今川了俊が高来(たかく)郡の凶徒を討つために船越城に入っている(同年六月日「深堀時広軍忠状」深堀文書)。文明年間(一四六九―八七)西郷尚善がここを本拠とし、のち高(たか)城に移ったという。天正年間(一五七三―九二)西郷対馬守が在城したが(西郷記)、龍造寺氏が伊佐早(いさはや)領主になるに伴い廃されたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by