日本歴史地名大系 「芝伊皿子七軒町」の解説 芝伊皿子七軒町しばいさらごしちけんちよう 東京都:港区旧芝区地区芝伊皿子七軒町[現在地名]港区三田(みた)四丁目芝伊皿子寺(しばいさらごてら)町の西に位置する東側と、三田四丁目の南で寺院に囲まれた西側の二ヵ所に離れた片側の年貢町屋。東側・西側の名称は地理上の東西とは逆になる。東側町屋の東は芝伊皿子寺町、西は伊予小松藩一柳家下屋敷、南は大信(だいしん)寺、北は長松(ちようしよう)寺。西側町屋の東は功運(こううん)寺、西は宝生(ほうしよう)院および長延(ちようえん)寺、南は大聖(だいしよう)院、北は西蔵(さいぞう)院境内。もとは上高輪(かみたかなわ)村のうちであった。起立年代は不明。寛文二年(一六六二)に町奉行・代官の両支配となった。東側町内間数は田舎間で南北が表一八間余・裏幅一六間余、東西奥行は南側六間余・北側七間余。西側の南北は表一九間余・裏幅一八間余、東西奥行は南方二間余・北方五間余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報