花垣庄(読み)はながきのしよう

日本歴史地名大系 「花垣庄」の解説

花垣庄
はながきのしよう

嘉吉元年(一四四一)興福寺官務牒疏(内閣文庫蔵)の近江国神崎郡楞厳りようごん寺の項に「此地者為八重桜料、自上東門院被寄附処也、当処、伊賀花垣二箇所也」とあり、天仁元年(一一〇八)伊賀国花垣の地が藤原道長の女、上東門院彰子によって興福寺八重桜料として寄進されている。これは予野庄が興福寺領となった天養元年よりも古い。「沙石集」巻九の「芳心アル人ノ事」の段に、「奈良ノ都ノ八重ノ桜ト聞ユル、当時モ東円堂ノ前ニアリ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

春闘

春の時期に労働組合が一斉に賃上げ、労働条件の改善に関する交渉を行なうこと。欧米では、産業別に強力な労働組合が存在し、それらが労働条件改善への闘争を繰り広げて成果を得てきた。だが、日本では企業ごとに労働...

春闘の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android