花垣庄(読み)はながきのしよう

日本歴史地名大系 「花垣庄」の解説

花垣庄
はながきのしよう

嘉吉元年(一四四一)の興福寺官務牒疏(内閣文庫蔵)の近江国神崎郡楞厳(りようごん)寺の項に「此地者為八重桜料、自上東門院被寄附処也、当処、伊賀花垣二箇所也」とあり、天仁元年(一一〇八)伊賀国花垣の地が藤原道長の女、上東門院彰子によって興福寺八重桜料として寄進されている。これは予野庄が興福寺領となった天養元年よりも古い。「沙石集」巻九の「芳心アル人ノ事」の段に、「奈良ノ都ノ八重ノ桜ト聞ユル、当時モ東円堂ノ前ニアリ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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