花尾城跡(読み)はなおじようあと

日本歴史地名大系 「花尾城跡」の解説

花尾城跡
はなおじようあと

[現在地名]八幡西区鳴水・熊手、八幡東区前田など

花尾山(三五一メートル。花ノ尾山とも)の山頂部に築かれた山城で、花尾は「はなのお」ともよみ、花尾山はなおやま城ともいう。中世麻生氏の居城で、城下部(居住区)は現在の元城もとしろ町一帯(近世には藤田村のうち)に広がっていたと考えられる。文明年中(一四六九―八七)に起こった麻生氏の内訌では、惣領家の麻生弘家に背いた甥の家延が当城に拠った。応仁・文明の乱で弘家が大内政弘に従って京都に赴いた留守に、家延は親類・被官を語らい弘家に背いた。文明二年弘家はこのことを政弘に訴え(同年一二月二三日「麻生全教置文写」麻生文書/筑前麻生文書)、政弘は帰国したならば第一に家延の処置をすると約束し(文明三年三月一二日「大内政弘書状」同上)、同九年一一月に帰国するとその約束を実行している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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