芳原城跡(読み)よしはらじようあと

日本歴史地名大系 「芳原城跡」の解説

芳原城跡
よしはらじようあと

[現在地名]春野町芳原

西分にしぶんとの境、標高約三三メートルの独立低丘陵上にあった中世の平山城。築城年代は不詳であるが、室町時代から台頭する有力土豪木塚氏が拠った。永禄四年(一五六一)本山氏は秋山あきやま城を陥落させるが、「土佐物語」(秋山城夜討並吉良城軍の事)に、すでに長宗我部氏に従っていた木塚左衛門太夫が所用浦戸うらど(現高知市)に立寄り、帰途秋山城陥落の混乱のなかで、敗兵より木津賀きづか(芳原城)も焼落されたと聞くが、帰城してみると誤報であったと記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む