芳原城跡(読み)よしはらじようあと

日本歴史地名大系 「芳原城跡」の解説

芳原城跡
よしはらじようあと

[現在地名]春野町芳原

西分にしぶんとの境、標高約三三メートルの独立低丘陵上にあった中世の平山城。築城年代は不詳であるが、室町時代から台頭する有力土豪木塚氏が拠った。永禄四年(一五六一)本山氏は秋山あきやま城を陥落させるが、「土佐物語」(秋山城夜討並吉良城軍の事)に、すでに長宗我部氏に従っていた木塚左衛門太夫が所用浦戸うらど(現高知市)に立寄り、帰途秋山城陥落の混乱のなかで、敗兵より木津賀きづか(芳原城)も焼落されたと聞くが、帰城してみると誤報であったと記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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