コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

芳賀一晶 はが いっしょう

美術人名辞典の解説

芳賀一晶

京都の人、江戸住、医を業とす。令徳常矩に学ぶ、又絵もよくした。宝永4年(1707)歿、65才。

出典|(株)思文閣美術人名辞典について | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

芳賀一晶 はが-いっしょう

?-1707 江戸時代前期の俳人。
伊藤信徳,鶏冠井令徳(かえでい-りょうとく)にまなぶ。江戸にすんで松尾芭蕉(ばしょう)ともしたしく,のち一派をなす。また菱川師宣(ひしかわ-もろのぶ)風の画をよくした。井原西鶴(さいかく)画像で知られる。宝永4年4月28日死去。京都出身。名は治貞。通称は順益,玄益。別号に冥霊堂,崑山翁。編著に「丁卯(ていぼう)集」「千句前集」など。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

芳賀一晶

没年:宝永4.4(1707)
生年:生年不詳
江戸前期の画師,俳人。名は治貞,通称は玄益(順益とも)。別号,冥霊堂,崑山翁。はじめ京に,のち江戸に住む。移住後は医を業としたともいう。画師としては,鶏冠井令徳旧蔵の「崑山」印を使用。井原西鶴画像などの作品が有名である。俳諧においては特別の師系はないが,三井秋風,伊藤信徳らに兄事したこともある。天和期(1681~84)には松尾芭蕉と行動を共にし,貞享期(1684~88)には一家をなした。作風は,流行をとりこみ,延宝末から元禄にわたり尖鋭的に活躍。のちに沈滞する。編著には『丁卯集』『千句前集』などがある。<参考文献>白石悌三「芳賀一晶素描」(『近世文学―作家と作品』)

(楠元六男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の芳賀一晶の言及

【一晶】より

…江戸前期の俳人。姓は芳賀,名は治貞。通称は順益。別号は崑山翁,冥霊堂。似船・常矩(つねのり)の傘下から京都俳壇に登場し,秋風・信徳に兄事した。《四衆懸隔》(1680),《蔓付贅(つるいぼ)》(1681),《如何(いかが)》等を刊行し,1万3500句の矢数俳諧で名をあげ,談林俳諧の点者として認められた。1683年(天和3)に歳旦帳を刊行し,その春江戸に移住して蕉門と親交を持ち,天和蕉風の一翼を担った。…

※「芳賀一晶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

芳賀一晶の関連キーワード菊岡沾凉菊岡沾涼風瀑

今日のキーワード

アウフヘーベン

ヘーゲル弁証法の基本概念の一。あるものを否定しつつも、より高次の統一の段階で生かし保存すること。止揚。揚棄。→アン‐ウント‐フュール‐ジッヒ →弁証法...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android