芳賀城跡
はがじようあと
[現在地名]真岡市台町
中世宇都宮氏の羽翼紀清両党として勇武を称された芳賀地方の土豪、清党の頭領芳賀氏の居城。真岡城ともよばれた。もとの本拠は御前城であったが、天正五年(一五七七)のちの台町の岡に移したという。新城は東西二三〇メートル・南北三六〇メートルの敷地に本丸・二の丸・三の丸を備え、北から西に芳賀沼があり、東方は五行川とその内側、丘麓に掘割導水した内堀をめぐらしていた(「芳賀城平面図」真岡小学校蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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