芹生谷村(読み)せりうだにむら

日本歴史地名大系 「芹生谷村」の解説

芹生谷村
せりうだにむら

[現在地名]河南町芹生谷

下河内しもかわち村・上河内村の西にあり、丘陵地に位置する。慶長一三年(一六〇八)検地帳(奥野家文書)では、石高二一六石二斗八升、田畑一三町九反余。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高二一四石余、幕府領、小物成として山年貢米一石五斗余。延享―寛延(一七四四―五一)頃のものと推測される石川郡二十四ケ村明細帳(浅尾家文書)によると、七斗余の改出しがあり村高は二一五石余、ほかに山年貢米一石五斗余などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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