日本歴史地名大系 「苅宇田村」の解説 苅宇田村かりうだむら 大分県:宇佐市旧宇佐町地区苅宇田村[現在地名]宇佐市苅宇田西木(さいぎ)村の北、向野(むくの)川の右岸にあり、東は辻(つじ)村、西は同川を挟んで岩崎(いわさき)村。集落は村東部の徴高地に、田地は西部の川沿いの低地に展開する。村の北東に小垣(こがき)池がある。永仁五年(一二九七)九月封戸(ふべ)郷司田部信房は永仁の徳政令が出されたため「弐段カリウタノテラサ□(キ)」などを含む郷内田畠の返還を求めている(同年九月日「田部信房申状」日名子文書)。同申状によれば、カリウタのテラサキの二段はいったん長門尼に売渡したが、当時は常陸法橋有慶の知行となっていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by