苔縄城跡
こけなわじようあと
[現在地名]上郡町苔縄
南北朝期に築かれた山城跡。千種川の西岸にそびえる標高三六九メートルの山頂にある。当地は佐用庄内赤松(村)のうちで、赤松城とも。ただし白旗城築城後は同城も赤松城と称した。元弘三年(一三三三)二月二一日の大塔宮護良親王令旨(太山寺文書)の追而書に、太山寺(現神戸市西区)に対し、軍勢を率いて同月二五日に赤松城に馳せ参じるよう記されている。太山寺衆徒は赤松城に参じ、その後各地の合戦に参陣した際の軍忠を書上げ、赤松円心(則村)の証判を得ている(同年五月一〇日「太山寺衆徒合戦注進状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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