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若槻荘 わかつきのしょう

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世界大百科事典 第2版の解説

わかつきのしょう【若槻荘】

大和国添上郡(現,奈良県大和郡山市)の荘園。田数38町7反余。もと薬師寺伝教院領であったが,鎌倉初期に,大乗院尊信が薬師寺別当を兼帯して以来,大乗院領となった。荘域は添上郡の2条1里と3条1里にまたがり,ほとんど他荘をまじえず,1ヵ所の池を除く大半が田畠の平野型荘園である。1307年(徳治2)の土帳には21の名(みよう)がみえるが,同土帳の旧名の記載によると,鎌倉時代には荘田38町7反余が,佃・給田等の除田17町3反半と,15の名からなる21町3反余の名田畠で構成されていたが,これら15の各名が,平均1町5ないし6反の田畠と1反の屋敷を有する典型的な均等名荘園であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

若槻荘
わかつきのしょう

大和(やまと)国添上(そうのかみ)郡(大和郡山(こおりやま)市若槻町付近)の荘園。薬師寺伝教院(でんぎょういん)領を経て鎌倉後期には興福寺の大乗院領となった。総田数41町5反余(1町は約119アール)。鎌倉前期には1町8反前後のほぼ均等な名(みょう)が15名編成されていたが、1307年(徳治2)に大乗院による検注が行われ、これによって均等名体制は崩れ、5反余から2町8反余までの規模をもつ20の不均等な名に編成替えされたと考えられている。このときの検注野取帳には40余人の荘民が登録された。
 荘民は数軒ずつまとまりながら荘内に散居していたが、15世紀後半になると、周りに濠(ごう)を巡らし、荘のほぼ中央に集中して住む環濠集落を形成するようになる。このような散村から集村への変化は自衛の必要からおこったものであろう。なお当荘は、年貢米、人夫役のほかに、毎年瓜(うり)720個を大乗院に出すことになっていた。[安田次郎]
『渡辺澄夫著『増訂 畿内庄園の基礎構造』(1969・吉川弘文館) ▽渡辺澄夫・喜多芳之編『大和国若槻庄史料 1』(1973・吉川弘文館) ▽西岡虎之助編『日本荘園絵図集成』上下(1976・吉川弘文館)』

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