若津湊
わかつみなと
筑後川河口から約八キロ上流に位置する。右馬之丞とも称し、一帯は町場化して若津町と称した。宝暦元年(一七五一)羽犬塚町(現筑後市)にあった遊女屋が移転したのに始まるという(米府年表)。翌二年に船問屋が置かれ、のち幕府から廻船問屋の設置を命じられて整備され、筑後米の積出港として繁栄した。同五年幕府日田代官の川筋見分御用にあたり、瀬下(現久留米市)から当湊への船が出ている(石原家記)。同一二年若津町の本町上より出火、五〇軒が焼失した(同書)。江戸時代中期には藩米蔵や幕府領の豊後日田郡から肥前長崎に廻漕される公米蔵が設置され、当地で海船に積込まれた(大川市誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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