向島村(読み)むかいじまむら

日本歴史地名大系 「向島村」の解説

向島村
むかいじまむら

[現在地名]大川市向島

筑後川左岸、花宗はなむね川最下流右岸に位置し、南の花宗川対岸は南酒見みなみさけみ村・榎津えのきづ町・小保こぼ村、東は北酒見村、北は筑後川を挟み肥前国大中島おおなかじま(現佐賀県諸富町)。もとは筑後川の中洲で、実質的には上・下に分れていた。筑後川の川湊である若津わかつ湊があり、一帯は若津町と称した。元禄国絵図に村名がみえ、無高。遠見番所があった。「在方諸覚書」では古高二千九六〇石・役高一千八二六石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一千九〇二石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では開田一〇七町余・畑田七反余・畑八町七反余・居屋敷一町五反余、ほかに葭野畝一町三反余。天保郷帳に村名はみえない。旧高旧領取調帳では上・下に分れ、上向島村の高一千五七八石余、下向島村の高一千六三三石余。宝暦元年(一七五一)羽犬塚はいぬづか(現筑後市)が焼失したため、同町の娼妓屋が若津へ移された(米府年表)


向島村
むかいじまむら

[現在地名]伏見区向島〈大河原おおがわら上五反田かみごたんだ上林かんばやし町・庚申こうしん町・黒坊こくぼう清水しみず町・下五反田しもごたんだ新大河原しんおおがわら新上林しんかんばやし新田しんでん吹田河原すいたがわら町・善阿弥ぜんあみ町・大黒だいこく鷹場たかば町・立河原たちかわら町・津田つだ町・東泉寺とうせんじ町・中島町・西定請にしじよううけ西堤にしつつみ町・まる町・二本柳にほんやなぎ東定請ひがしじよううけふじ町・本丸ほんまる町・又兵衛またべえ丸町まるまち柳島やなぎじま渡シ場わたしば町〉

向島はもと巨椋おぐら池中に浮かぶ島の一。当村の沿革について「京都府地誌」は「豊臣氏桃山在城ノトキ、宇治川ノ前岸ニ在ルヲ以テ向島ト称ス、其後漁農聚落ヲナシ一村ノ形ヲナス、慶長中、向島村ノ称ヲ用ウ」と記す。


向島村
むこうじまむら

[現在地名]三根町大字東津ひがしづ字向島

三根郡の最南にあり、西は神埼郡柳島やなぎしま村、南は同郡大島おおしま(ともに現神埼郡千代田町)に接する。東は枝村のふくろ村の東を流れる井柳いりゆう川をもって松枝まつえだ村に接する。地形低湿で堀が四通している。正安二年(一三〇〇)三月三日の法橋長印置文案(修学院文書)に「向島」とみえる。村に十三じゆうさん二十三にじゆうさん五坪ごつぼ三十六さんじゆうろくなどの条里制遺称があって、この地域が古くから開発されたことがわかる。


向島村
むかいじまむら

[現在地名]松任市向島町

藤木ふじのき村の南に位置。正保郷帳によると高五七三石余、田方三六町余・畑方二町二反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高五八六石、免五ツ五歩、小物成はなし(三箇国高物成帳)。寛文年間の家高数九・百姓数一七(高免付給人帳)。用水は中村なかむら用水・山島やまじま用水を利用。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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