日本歴史地名大系 「茂浦村」の解説
茂浦村
もうらむら
[現在地名]平内町茂浦
東は半島の脊梁山脈で
<資料は省略されています>
嘉永三年(一八五〇)の「東奥沿海日誌」に「是より山伝ひ田道を下りて蒲浦、漁家のミ也。しかれ共少し磯際に田有故に是を耕すよし。人家随分富り」とある。
茂浦から北方の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東は半島の脊梁山脈で
嘉永三年(一八五〇)の「東奥沿海日誌」に「是より山伝ひ田道を下りて蒲浦、漁家のミ也。しかれ共少し磯際に田有故に是を耕すよし。人家随分富り」とある。
茂浦から北方の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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