茗荷沢村(読み)みようがざわむら

日本歴史地名大系 「茗荷沢村」の解説

茗荷沢村
みようがざわむら

[現在地名]長南町茗荷沢

長南宿の南に位置し、一宮(いちのみや)川支流の埴生(はぶ)川が流れる。大多喜(おおたき)往還が通る。「鶴岡事書日記」応永二年(一三九五)閏七月五日条にみえる茗荷房氏は茗荷沢を名字の地とすると考えられ、鎌倉鶴岡八幡宮から逃亡百姓の人返しを依頼されている。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に名我沢村とみえ、高一五五石。


茗荷沢村
みようがさわむら

[現在地名]大和町茗荷沢

荒金(あらかね)村の西と北、西は枝村茗荷沢新田、北は山崎(やまざき)新田。正保国絵図に「茗ケ沢村」高一三六石余。天和三年郷帳では高二〇三石七斗余。宝暦五年(一七五五)の村明細帳(小千谷市立図書館蔵)では茗荷沢新田と一村扱いで、田一三町五反余・畑二二町一反余、家数六四、男一五五・女一一八、馬二二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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