茨田屯倉(読み)まんだのみやけ

百科事典マイペディアの解説

茨田屯倉【まんだのみやけ】

河内(かわち)にあった天皇直轄領。《日本書紀仁徳天皇13年9月条,《古事記》仁徳天皇段にこの屯倉が置かれた記事がある。《古事記》には同じとき〈茨田堤〉を築造したとあり,仁徳朝の事実か否かは別として,築堤によって淀川の氾濫を防ぎ,耕地を安定させて屯倉を設定したのであろう。《日本書紀》宣化天皇元年条に,筑紫の那津(なのつ)に官家を建設するために各地の屯倉の穀を運ばせた話がみえるが,〈茨田郡の屯倉〉の穀は阿蘇仍君を遣わして運んだという。この屯倉の所在地ははっきりしないが,茨田郡および交野(かたの)郡三宅(みやけ)郷(《和名抄》)の地に散在し,管理の建物や倉庫は三宅郷にあったと考えられる。《日本書紀》皇極天皇2年条にみえる〈茨田池〉は,茨田屯倉の灌漑(かんがい)に利用された池であろう。

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世界大百科事典内の茨田屯倉の言及

【茨田池】より

…これは大和朝廷が河内平野北部の開発に積極的であったことを物語る。この事業により耕地化が可能となったので,大和盆地における溜池灌漑の経験をもとに,茨田池の水利用によって茨田屯倉(みやけ)の経営に当たったのであろう。茨田池の周辺には秦氏,茨田氏などの渡来系氏族が多く居住しており,彼らのもつ進んだ技術が,造池や導水などの用水事業や農耕に役だてられたとみられる。…

※「茨田屯倉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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