日本歴史地名大系 「三宅郷」の解説
三宅郷
みやけごう
古代
三宅郷
みやけごう
現三宅町・
三宅郷
みやけごう
「和名抄」高山寺本・東急本・元和古活字本のいずれも訓を欠く。高山寺本で、大和国城下郡および河内国丹比郡内の三宅郷にはそれぞれ「美夜介」「美也計」の訓があり、元和古活字本にも「美也介」「三也介」と訓が付される。他の三宅郷の訓をもつものも同様であり、当地の例も「みやけ」と称していたとしてよい。
尾張国の屯倉については「日本書紀」安閑天皇二年五月条に間敷屯倉・入鹿屯倉の名が記され、次いで宣化天皇元年夏五月条に「蘇我大臣稲目宿禰、宜遣尾張連、運尾張国屯倉之穀」との記載があって、大臣蘇我稲目の命により、尾張連が尾張国の屯倉の穀を九州まで運んだことが記されている。
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
「和名抄」道円本・高山寺本・東急本などに訓はない。現在の竹田市の北東部にあたる大野川・
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
三宅郷
みやけごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報