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茶屋明延 ちゃや あきのぶ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

茶屋明延 ちゃや-あきのぶ

?-1591 戦国-織豊時代の武士,商人。
父中島宗延(むねのぶ)とともに信濃(しなの)(長野県)深志城主小笠原長時につかえた。のち京都にでて呉服商をいとなむ。長時とともに将軍足利義輝(よしてる)がたびたびおとずれて茶の湯をたのしんだことから,茶屋と称した。天正(てんしょう)19年5月25日死去。通称は四郎左衛門

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朝日日本歴史人物事典の解説

茶屋明延

没年:天正19.5.25(1591.7.15)
生年:生年不詳
戦国時代の武士,豪商。信濃守護小笠原長時の家臣中島宗延の子。通称は四郎左衛門尉。明延もはじめ武士で小笠原長時に仕えていたが負傷して武士をやめ,天文(1532~55)末年ごろから京都に住んで商人になった。茶屋は屋号。ただし茶を商っていたわけではなく,呉服商であった。茶屋を称するようになった由来は,旧主小笠原長時が武田信玄に信濃を逐われ,一時,上杉謙信の保護を受けたあと,三好長慶を頼って京都に逃れ,将軍足利義輝の弓馬の師範となったことと密接に関係する。そのころ,明延は自分の屋敷に茶屋を作り,茶の湯三昧の生活を楽しんでいたが,長時に伴われた義輝がしばしば茶を飲みに立ち寄ったところから,いつしか「茶屋」と呼ばれるようになったという。明延の子清延が四郎次郎を名乗って,徳川家康御用商人(呉服商,朱印船貿易家)となり,以後代々四郎次郎を称して発展する。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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