草内渡
くさじのわたし
田辺町大字草内と井手町大字多賀とを結ぶ木津川の渡場で、古くから渡船があったと思われる。河内国から田辺・興戸を通り、青谷川に沿って宇治田原(現宇治田原町)を経て近江国へ向かう場合の最短コースで、木津川上流の飯岡・山本・藪の渡、下流の富野・水主(現城陽市)の渡より重要な位置を占め、古くから知られてきた。
本能寺の変後、徳川家康は堺(現大阪府堺市)から無事に草内渡を渡り、宇治田原の山口城(跡地は現宇治田原町)から信楽(現滋賀県甲賀郡信楽町)へと脱出したが(譜牒余録)、少し遅れた穴山梅雪の一行は草内渡の手前で土豪らに討たれた(雍州府志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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