20世紀日本人名事典 「草場謹三郎」の解説 草場 謹三郎クサバ キンザブロウ 明治〜昭和期の中国語学者 生年安政5年11月15日(1858年) 没年昭和8(1933)年4月7日 出生地肥前国小城郡多久村(佐賀県) 別名号=金台 学歴〔年〕東京外国語学校(現・東京外国語大学)支那語科卒 経歴明治12年参謀本部清国語学生として北京に留学。帰国後、陸軍省御用掛参謀本部勤務を経て、大阪鎮台に移り、軍人の中国語教授に当たる。22年自費で中国に再留学し、翌年荒尾精の日清貿易研究所設立に参画。27年日清戦争が起ると第2軍司令部に従軍し、ついで台湾総督府に転じ、37年日露戦争が勃発すると陸軍通訳として従軍。44年朝鮮総督府通訳官となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「草場謹三郎」の解説 草場謹三郎 くさば-きんざぶろう 1858-1933 明治-昭和時代前期の中国語通訳。安政5年11月15日生まれ。父は草場船山。明治12年陸軍参謀本部から北京に留学し,帰国後大阪鎮台で中国語を教授。のち台湾総督府,朝鮮総督府などの通訳官をつとめた。昭和8年4月7日死去。76歳。肥前小城郡(佐賀県)出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。号は金台。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by