20世紀日本人名事典 「草鹿龍之介」の解説 草鹿 龍之介クサカ リュウノスケ 大正・昭和期の海軍中将 生年明治25(1892)年9月25日 没年昭和46(1971)年11月23日 出生地東京市下谷区(現・東京都台東区) 学歴〔年〕海兵(第41期)〔大正2年〕卒,海大〔大正15年〕卒 経歴昭和2年霞ケ浦海軍航空隊教官となり、4年ドイツの飛行船ツェッペリンに同乗して太平洋を横断。以後鳳翔艦長、赤城艦長、第4連合航空隊司令官、第24航空戦隊司令官を経て、16年4月第1航空艦隊参謀長に就任、南雲忠一司令官の下で真珠湾攻撃の作戦にあたる。19年4月には連合艦隊参謀長となり、あ号作戦、レイテ作戦を計画した。敗戦直前に第5航空隊司令長官に就任。著書に「連合艦隊」「一海軍士官の半世紀」。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「草鹿龍之介」の意味・わかりやすい解説 草鹿龍之介くさかりゅうのすけ [生]1892.9.25. 東京[没]1971.11.23. 宝塚海軍軍人。 1913年海軍兵学校,26年海軍大学校卒業。 41年第1航空艦隊参謀長として真珠湾攻撃に参加。 44年4月連合艦隊参謀長,中将。 45年8月 10日,第5航空艦隊司令長官。主著『連合艦隊』 (1956) 。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by