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太平洋 たいへいようPacific Ocean

翻訳|Pacific Ocean

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

太平洋
たいへいよう
Pacific Ocean

世界三大大洋中最大の大洋。アジア,オーストラリア,南北アメリカの各大陸に囲まれ,北はベーリング海峡北極海に通じ,南は南極大陸に達する。大西洋とはドレーク海峡で接する。インド洋との境界は明瞭ではないが,スマトラ島から小スンダ列島に沿ってティモール島,そこからオーストラリアのロンドンデリー岬までと,タスマニアからバス海峡を通って南極大陸までとされる。面積約1億 6525万 km2 (付属海を除く) ,平均水深 4280m,最大深度1万 1034m。ベーリング海オホーツク海,日本海,黄海東シナ海南シナ海,アジア・オーストラリア地中海など多くの付属海がある。大陸や島弧に平行して多くの海溝があり,中部から西部には多数の海嶺,海山列があり,海洋島が散在する。特に東太平洋海膨の存在は大西洋中央海嶺とともに海底地質学上最大級の問題を提供している。流入する河川は少い。アジア大陸側の海岸線が不規則であるのと対照的に,東太平洋の海岸線は一部を除いて規則的で,大陸棚が狭い。海流は,赤道反流をはさんで,北半球は時計回り,南半球は反時計回りの環流がかなり明瞭にみられる。

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デジタル大辞泉の解説

たいへい‐よう〔‐ヤウ〕【太平洋】

Pacific Ocean三大洋の一。南北アメリカ大陸・アジア・オーストラリア大陸・南極大陸の間にある世界最大の大洋。地球表面の約3分の1を占め、総面積約1億6500万平方キロメートル。平均水深4282メートル。名は、マゼランが1520~1521年に南太平洋を横断したときに平穏な航海だったことに由来。

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百科事典マイペディアの解説

太平洋【たいへいよう】

大西洋,インド洋と並ぶ世界三大洋の一つで,世界最大の大洋。英語ではPacific Ocean。アジア,オーストラリア,南極,南北アメリカ大陸に囲まれる海域。東シナ海,日本海,オホーツク海,ベーリング海などの付属海を除いた大洋部の面積1億6624.1万km2で,付属海を合わせると全海洋面積の約50%を占める。
→関連項目バンダ海

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説

たいへいよう【太平洋】

和歌山の日本酒。酒名は、蔵のある新宮市から臨む太平洋にちなみ、世界一の大洋のように愛される酒を目指して命名。大吟醸酒、吟醸酒、純米酒本醸造酒、普通酒がある。原料米は山田錦美山錦日本晴。仕込み水は熊野川伏流水蔵元の「尾﨑酒造」は明治2年(1869)創業。所在地は新宮市船町。

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デジタル大辞泉プラスの解説

太平洋

和歌山県、尾崎酒造の製造する日本酒。

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世界大百科事典 第2版の解説

たいへいよう【太平洋 Pacific Ocean】

世界三大海洋のうち最大で,西はアジア,南はオーストラリアと南極,東は南北アメリカ大陸で囲まれる。面積1億7967万9000km2,容積7億2370万km3,平均水深4028m,最大水深はマリアナ海溝の1万0915mである。付属海はカリフォルニア湾を除くとほとんど西岸沿いにあり,北から南へベーリング海,オホーツク海,日本海,黄海,東シナ海(東海),南シナ海(南海),セレベス海,バンダ海と並ぶ。地質学的にはフィリピン海も入る。

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大辞林 第三版の解説

たいへいよう【太平洋】

〔Pacific Ocean〕 アジア・南アメリカ・北アメリカ・南極・オーストラリアの五大陸の間に広がる世界最大の海洋。地球表面積の3分の1を占める。1521年マゼランが最初に太平洋を横断した際に、無風平穏であったところから名づけられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

太平洋
たいへいよう
Pacific Ocean

位置と大きさ


 大西洋、インド洋とともに三大洋の一つで、面積・体積ともそのなかでもっとも大きい海洋。北から東を南北アメリカ大陸、南は南極大陸、南から西はオーストラリア大陸、インドネシア、アジア大陸東部に囲まれている。北極海とはベーリング海峡、大西洋とはホーン岬からサウス・シェトランド諸島を経て南極半島に至る線、インド洋とはアンダマン諸島、インドネシア、チモール島、オーストラリアのタルボット岬をつなぐ線、オーストラリア西岸から南東端のバス海峡、タスマニア島のサウス・イースト岬から南極大陸に達する東経146度52分の経度線でくぎられる。
 赤道での幅は約1万6000キロメートル、ベーリング海峡からロス海への距離もほぼ同じである。付属海を含めた面積は約1億8000万平方キロメートル、体積は約7億2000万立方キロメートル、平均深度は約4000メートルである。付属海を除いた面積は約1億6500万平方キロメートル、体積は約7億1000万立方キロメートルで、平均深度は約4300メートルになる。
 付属海を入れた太平洋の面積は地球全表面積の35%、全海洋面積の50%を占め、陸地表面積の合計、約1億5000万平方キロメートルより広い。深さも三大洋中最深で、マリアナ海溝、伊豆・小笠原(おがさわら)海溝、トンガ海溝には1万メートルを超す深所がある。[半澤正男・安井 正・高野健三]

名称の由来


 スペインの探検家バルボアは中央アメリカ探検の際、パナマ地峡のダリエン海岸に沿い西進し、サン・ミゲル湾の対岸に達した1513年9月、山上から眼前に果てしなく広がる大洋を望見した。彼はこの海を「南海」と命名したが、これがヨーロッパ人による太平洋の「発見」である。
 その後、ポルトガルの探検家マジェランは、スペイン王との契約のもとに大西洋を南進して南海探検に出発、38日間の苦闘のすえ、いまのマゼラン海峡を通過、1520年11月「南海」に出た。彼の艦隊はその後、南アメリカ西岸沖を経て南太平洋を横断、食糧と飲料水の欠乏、壊血病などによる98日間の苦しい航海のあとに、マリアナ諸島、さらにフィリピン諸島中のセブ島に着いたが、この航行中、比較的静穏な天候に恵まれ、時化(しけ)らしい時化に遭遇しなかった。このことからマジェランは、「南海」を「太平洋」Mare Pacificumと再命名した。この「太平洋」はマジェランの航行した海域や、南太平洋をさすのに使用されたが、18世紀のJ・クックの世界周航のころから現在の太平洋全体を呼称するものとして定着するようになった。
 日本語の「太平洋」は、ヨーロッパの地図での地名が中国訳を通じて伝わったものである。イタリアの宣教師マテオ・リッチがヨーロッパ版世界図を漢訳し、李子藻(りしそう)が1602年に『坤輿(こんよ)万国全図』として公刊したが、これにはマジェラン海峡の西に「寧海(ねいかい)」と記されている。寧海はMare Pacificumの漢訳で、静かな海という意味である。清(しん)の時代(1612年)にはこれが「太平海」となる。日本では、1661年(寛文1)の鵜飼石斎(うがいせきさい)(1615―64)編『明清闘記(みんしんとうき)』(中国の書物の和刻)に太平海の名がみえている。「太平海」が「太平洋」となって定着したのは明治維新前後で、1858年(安政5)岩瀬忠震(いわせただなり)(蟾州(せんしゅう))訳『地理全志』や、1860年(万延1)大鳥圭介(けいすけ)訳の『万国綜覧(そうらん)』などには「太平洋」が使用されている。[半澤正男・安井 正・高野健三]

太平洋の自然


海底地形
大西洋ではほぼ中央に大西洋中央海嶺(かいれい)が南北に走るが、太平洋にはそれに相当するものがない。西経110度の経線沿いに東太平洋海膨(かいぼう)が、南部の南極大陸との間には太平洋・南極海嶺が、西部には九州・パラオ海嶺、伊豆・小笠原(おがさわら)海嶺、ノーフォーク海嶺Norfolk Ridge、マッコーリー海嶺Macquarie Ridgeなどが存在し、複雑な海底地形を呈している。
 これらの海嶺に囲まれた形で、太平洋中央部には中央太平洋トラフ(中央太平洋舟状海盆)が広がっている。北はアリューシャン列島から南は南緯60度近くまで、東はアメリカ大陸沿岸から西は日本にまで達し、最深部は深さ4000メートルを超える。
 大陸の海岸、島弧、海嶺に並行して走る海溝が多いことは太平洋海底地形の特徴の一つである。すなわち、アリューシャン列島弧の南沖にはアリューシャン海溝、千島(ちしま)(クリル列島)の東沖には千島・カムチャツカ海溝、東日本の東沖には日本海溝がある。伊豆諸島・小笠原諸島の東には日本海溝に続く伊豆・小笠原海溝があり、さらに南のマリアナ海溝、ヤップ海溝に連なっている。フィリピン諸島の東沖にはフィリピン海溝がある。これらの海溝は非常に深く、マリアナ海溝には世界の海でもっとも深いチャレンジャー海淵(かいえん)(1万0920メートル)がある。ほかにもビチャージ海淵や、トリエステ海淵がある。南太平洋西部、トンガ諸島の東沖には、サモア諸島の南からニュージーランド北島の北東沖にかけてトンガ海溝、ケルマデック海溝があり、ビチャジ海淵(は1万0882メートル、は1万0047メートル)がある。南太平洋西部には、ニュー・ブリテン海溝、南ソロモン海溝、ニュー・へブリデス諸島の西沖にニュー・ヘブリデス海溝(南ニュー・ヘブリデス海溝、北ニュー・ヘブリデス海溝)がある。
 北アメリカ沖には海溝はないが、中央アメリカの西沖には中央アメリカ海溝が、さらに南のペルー西沖にはペルー海溝、チリ西沖にはチリ海溝がある。
 太平洋東部の海底には、海膨・海嶺や海溝どうし、あるいは海膨・海嶺と海溝とをつなぎ東西に並行して走る長大な断裂帯が存在する。おもなものは北からメンドシノMendocino、パイオニアPionia、マーレーMurray、モロカイMolokai、クラリオンClarion、クリッパートンClipperton断裂帯である。
 太平洋は海膨・海嶺、海溝、断裂帯の3地形により、大きく太平洋プレート、ナスカプレート、ココスプレート、南極プレートに分けられる。マリアナ海溝の西側はフィリピン海プレートである。
 広大な中央太平洋トラフは、海底の盛りあがりにより、いくつかの海盆に分けられている。ハワイ島に始まり北西に伸びるハワイ海嶺は北緯32度付近のミッドウェー島で北に向きを転じ、アリューシャン列島の沖に連なる北西太平洋海山列となる。これらの西側は北西太平洋海盆、東側は北東太平洋海盆、南側は中央太平洋海盆とよばれている。さらに、ハワイの南にあるクリスマス海嶺から南西のマルケサス諸島、ツアモツ諸島を経て東太平洋海膨に連なる高まりの南東側は南東太平洋海盆、西側は南西太平洋海盆と名づけられている。
 ハワイ島を含むハワイ海嶺と北西太平洋海山列は地球深部からマグマが間欠的に地表に大量に供給される、ホットスポット現象の典型として有名である。
 現在のハワイ島の位置にあるホットスポットからマグマが供給されて島が形成される。形成された島はまわりの海底(プレート)の動きに乗って北西に移動する。しばらくして、ホットスポットから新しいマグマが給供され、新しい島が形成される。この繰り返しにより島の列ができる。海底の深さは、海膨から海溝に向かいしだいに深くなっているから、ホットスポットの位置から遠ざかるにしたがい、島の標高が低くなり、やがて海面下に没し、海山列となる。北緯32度付近で、海山列の方向が北西から北に変わっているのは、転向点の位置で桓武(かんむ)海山が形成された時期(約4000万年前)にプレートの進行が、北向きから北西向きに変化したためとされている。
 北西太平洋海山列の海山にはアメリカの学者により、「神武(じんむ)」「綏靖(すいぜい)」など日本の天皇名がつけられていて、天皇海山列Emperor Seamountsともよばれている。[半澤正男・安井 正・高野健三]
海洋気象
北半球では、冬の間、太平洋の海上気象を支配するものは、強いアリューシャンの低気圧と強いシベリア高気圧(アジア高気圧)で、北太平洋高気圧(中緯度高気圧)は弱い。夏になると、北太平洋高気圧が強くなり、アジア大陸部は南アジア低気圧に覆われる。南半球では、オーストラリア大陸は、北半球の大陸部とは逆に、北半球の冬には低気圧に覆われ、夏には高気圧に覆われる。
 日本を含めアジア大陸の東縁部は、このような夏冬の気圧配置の影響を受け、冬の北西の季節風(モンスーン)、夏の南東の季節風が卓越する。夏から秋にかけて熱帯低気圧(台風)の常襲地域となっている。さらに冬は寒く、夏は暑い「東岸気候」の特徴も現れるが、同緯度の大陸内部より温和な気候で、海洋の影響を強く受けた「海洋気候」の特徴も兼ね備えている。南半球には大きな大陸がないので南太平洋の季節風は北太平洋ほどには明瞭(めいりょう)ではない。
 北太平洋の西、南西側(東は東経145度のマリアナ諸島付近まで、南はほぼ赤道まで)は季節風帯である。南太平洋では、北半球の冬季、オーストラリア大陸からの北西の季節風がニューギニア島の東からソロモン諸島に至る海域に吹く。
 太平洋の赤道域では、西部の気圧と東部の気圧とが、数年の周期で(一方が高くなれば他方が低くなる)シーソー現象をおこす。この現象を南方振動Southern Oscillationという。西部の気圧が低く、東部の気圧が高い状態のときには、海面では東風が卓越し、逆の状態に推移すれば東風は弱まり、ときには逆転して西風になる。オーストラリア北部のダーウィン(東経131度)と南太平洋のタヒチ島(西経150度)との地上気圧の差を南方振動指数(SOI)とよび、熱帯大気の年々変動の指標としている。南方振動とエルニーニョ現象は大気・海洋結合システムの振動現象だから、両者を一括してENSO(エンソ)(エルニーニョ/南方振動)という。南方振動の影響で貿易風は大西洋に比べ一般に弱く、また恒常性が低い。また赤道無風帯(北緯5度~北緯10度)の幅は大西洋のそれより広い。[半澤正男・安井 正・高野健三]
表面海流
北太平洋では中緯度高気圧に対応して大きな時計回りの亜熱帯循環(環流)がある。これを形成する表面海流は南から時計回りに北赤道海流、黒潮、黒潮続流、北太平洋海流、カリフォルニア海流であり、これが北赤道海流に続いて循環を形成する。この循環の北には反時計回りの別の循環がある。北太平洋海流の一部が分枝して北上、アラスカ湾に入り反時計回りにベーリング海を西進、ついでカムチャツカ半島の沖で南進、日本の北東沿岸に達する。この最終の部分が親潮(おやしお)である。
 南太平洋にも、北太平洋のそれに対応する巨大な循環がある。これを形成する表面海流は北から反時計回りに南赤道海流、東オーストラリア海流、西風海流、周南極海流、南アメリカ西岸沖を北上するペルー海流(フンボルト海流)で、ペルー海流は南赤道海流に連なり循環を形成する。南太平洋で北の黒潮に対応するものは東オーストラリア海流であるが、これは黒潮ほど強大ではなく、最大流速も2ノット(毎秒1キロメートル)程度である。南太平洋の循環系の特徴は、循環の北西縁辺部がニューギニアからニュージーランドに至る多くの島の存在のため明瞭でないことである。
 南太平洋南部はインド洋と大西洋とに連結しているから、南極大陸を取り巻いて、流速が遅いわりには流量が非常に大きい周南極海流が流れている。
 ほかには赤道に沿って西に流れる赤道海流を挟み、北側に赤道反流、南側にギニア海流が東向きに流れる。[半澤正男・安井 正・高野健三]
海面水温・塩分・潮汐・海氷

(1)海面水温 海面水温の分布は海流の様相と密接に結び付いている。最高水温帯は赤道直下でなく、やや北の北緯5度付近にある。熱帯域の高温水帯は東側で狭いが、西側では赤道海流が南北に分枝するため広がり、暖かい熱帯系水が広範囲に分布している。夏冬とも太平洋の東側、赤道直下では西経140度付近まで周囲より水温が低い。これは太平洋の東側の湧昇や南アメリカ沖のペルー海流の影響による。
 同じ緯度でも海流の影響で大きな水温差があり、北緯35度を例にとると、夏季日本側の水温は約25℃、カリフォルニア側は約15℃と低い。南半球の夏(2月)、南緯20度で、オーストラリア沿岸は約27℃、チリ沿岸は19℃である。北太平洋の北部では一般に高温域が東側に、低温域が西側の親潮域にみられる。
(2)塩分 北太平洋の表面塩分はほかの大洋のそれより低いのが特徴。大西洋の表面塩分の最大が37.0psu以上であるのに対し、北太平洋のそれは35.5psu程度である。南太平洋の表面塩分は、南大西洋、インド洋とほぼ等しい。赤道を挟んで南北にそれぞれ高塩分域があり、おのおののさらに高緯度側には低塩分域が広がっている。北太平洋東部にはわりあい低塩分の海域が帯状に西経150度付近にまで達している。
(3)潮汐(ちょうせき) 大潮差はマゼラン海峡など10メートルを超える所もあるが、太平洋の沿岸では1.0~1.7メートルぐらいである。黄海、東シナ海などの縁海では2メートル以下の潮差はない。また、オホーツク海北部のペンジナ湾奥のように、11メートルに達する所もあるが、日本海では潮差は小さく数十センチメートルにすぎない。南シナ海、フィリピン海、ボルネオ諸島沿岸は2メートル前後である。
(4)海氷 ベーリング海の海氷は陸棚上では11~6月に多いが、中央部(海盆部)では少ない。氷山はアラスカ沿岸の北緯55~60度の湾奥などでみられるだけである。北海道のオホーツク海沿岸と太平洋岸の一部ではこの付近で生成した海氷のほか、北方で生成し漂流してきた海氷すなわち流氷が多い。普通1月中旬に到来し、4月に東方に去ってゆく。[半澤正男・安井 正・高野健三]
海洋資源
生物資源の活用、すなわち漁業の主要漁場は、北西部(日本近海を含む)、東部(とくにペルー、エクアドル沖)、南西部(インドネシア近海)などである。赤道海域でマグロ、北西部でスケトウダラ、サケ、マス、カニ、サバ、イワシなどが、東部ではアンチョビーなどが、南西部でエビなどが漁獲されている。日本近海とくに三陸沖は親潮、黒潮の寒暖両流が相接する潮境で、栄養塩量が多くプランクトンが豊富で、世界三大漁場の一つである。南アメリカ西岸沖のアンチョビー漁や赤道海域におけるマグロ漁は、それぞれの海域における湧昇流による栄養塩の補給に基づいている。生物資源の開発は、漁業専管水域問題、各国の漁業技術水準や食習慣の違いなど、政治的、社会的なかかわり合いが多く、単純に解決できない問題を多く含んでいる。
 海底石油・天然ガス資源の開発が行われているところは、アメリカ西海岸、東南アジアではマレーシア沖、スマトラ―ジャワ沖、ボルネオ島のサラワクやカリマンタン沖、オーストラリアではビクトリア州沖などである。東南日本の沿岸の海底にある氷状のメタン、メタンハイドレートは燃焼時に出る二酸化炭素の放出量が石炭や石油の50~60%のクリーンエネルギーとして最近は注目を集めている。海底鉱物資源としてはマンガン、コバルト、ニッケル、銅などで、赤道を隔てて南北の中部太平洋に広く分布している。大陸縁辺部には、アラスカのノーム沖の砂金鉱床、スマトラ沖の砂錫(さすず)鉱床など、採掘中か開発をまつ資源が存在する。1960年代後半からのプレートテクトニクス理論や深海調査技術の進歩から、プレート境界面における海底の金属鉱床(硫化物、燐(りん)鉱床)が東太平洋のカリフォルニア沖や南アメリカ西岸沖に発見されている。
 このように太平洋は各種の海洋資源に富んではいるが、商業ベースにのる採取・採掘の行われているものは、水産、海底石油・天然ガス、土木・建築工事用の砂・小石など一部の鉱物資源で、ほかは開発中あるいは構想の段階にあるものが多い。[半澤正男・安井 正・高野健三]

太平洋の歴史


太平洋の諸民族と文明
地球上もっとも広大な海洋である太平洋を隔てても、西側のアジア大陸・日本列島などと、東側のアメリカ大陸との間にはきわめて古くから北方のクリル(千島)、アリューシャン両列島沿いに、また太平洋の火山性・サンゴ礁諸島沿いに活発な民族移動が行われ、さらに東南アジア諸国と南太平洋諸島、南半球のオーストラリア、ニュージーランドと周辺諸島でも頻繁な民族移動が古来行われてきた。アジアでは中国文明についてはいうまでもなく、東シベリア、日本列島、朝鮮半島、東南アジアでも、1万~8000年前にかなりの生活水準と、ある程度の文化をもっていたことが考古学的に立証されている。一方、アメリカ大陸では16世紀からのスペインによる侵入征服のはるか以前に、マヤ、インカ両文明が、脳外科手術、煙による高速通信網、絵画・彫刻などを含む高度の文明を築き上げていた。北アメリカの先住民(いわゆるアメリカ・インディアン、ヨーロッパ人到来以前の推定人口約450万)、オーストラリアの先住民アボリジニー、ニュージーランドの先住民マオリ、その他の太平洋諸島の先住民も、相応の生活水準と独自の文化とをもっていた。重要なことは、ヨーロッパ・ルネサンス以降の近代科学勃興(ぼっこう)以前には、ヨーロッパとアフリカとアジアとアメリカではほぼ同程度といえるそれぞれの生活と文化の水準を保っていたという事実である。ヨーロッパ、アメリカ、日本など近代国家による太平洋諸地域の征服と領有は、近々200~300年の歴史にすぎない。[陸井三郎]
欧米諸国の太平洋進出と征服
ヨーロッパ人が太平洋を「発見」するのは1513年、バルボアの探検による。ついでマジェランがフィリピンのセブ島に到来し、この海を「太平洋」と命名、スペインによるフィリピン領有を先導する。これより先スペインは、現在のアメリカ合衆国南部・メキシコおよび中南米に進出、征服する。ポルトガルがこれに続きブラジルを植民地化。18~19世紀にはイギリスがオーストラリア、ニュージーランドと周辺諸島、マレー半島・シンガポール、ボルネオを植民地化。オランダによるインドネシア、フランスによるインドシナ3国などの領有が進む。19世紀なかば以降にはイギリス、ロシア、ドイツ、フランスの太平洋諸地域への進出が一段と本格化し、これら列強による中国の植民地化ないし半植民地化も進む。アヘン戦争(1840~42)の結果によるイギリスの香港(ホンコン)領有、アメリカ・スペイン戦争によるアメリカのグアム、フィリピン領有とハワイ併合(ともに1898年)、ドイツの青島(チンタオ)領有とカロリン諸島購入、ロシアの中国東北部(旧満州)進出、日清(にっしん)戦争による日本の台湾領有などは、その代表例の若干にすぎない。第一次と第二次の両世界大戦間の時期には、太平洋地域の米、欧、日による植民地体制の維持が続いた。しかし第二次世界大戦後には、植民地化された諸国ないし諸民族は相次いで独立を達成、1970年代からは太平洋諸島も、ハワイ、グアム、東チモールを除いて次々に独立、2002年には東チモールが独立を成し遂げた。だが同時に、第二次世界大戦から半世紀近くの間に、朝鮮戦争(1950~53)、第一次インドシナ戦争(1946~54)、ベトナム戦争(1961~75)というように、もっとも激動と戦乱の続いたのもこの地域であったことを見落とすべきではない。[陸井三郎]
日本と太平洋
江戸幕府の鎖国時代を除けば、日本列島は必然的に太平洋周辺諸国と政治的、経済的、文化的に結び付けられてきた。日本とアジア大陸諸国との交易路にあたる西太平洋での倭寇(わこう)の活動を別としても、鎖国前にルソン(フィリピン)、アンナン(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)、ジャワ(インドネシア)には日本人移民集落が生まれていた。明治以降に急激に近代化した日本は、西太平洋と東アジアの制覇戦において米英などの西欧列強およびアジアの民族解放諸勢力の前に敗北した。だが、1980~90年代に入って、中国、韓国、香港(ホンコン)、台湾、それにベトナムなどインドシナ諸国を加えたASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国の急激な経済発展があり、それに伴う先進諸国との貿易およびこれら諸国間の域内貿易も著しく進展した。経済発展に関するかぎり、20世紀末から21世紀初めにかけては太平洋の時代というよりは、東アジアの時代に入ったと思われた。だが、97年秋からタイ、インドネシア、マレーシア、韓国などの東アジア諸国では急激な通貨不安と国内通貨価値の暴落が起こり、IMF(国際通貨基金)の緊急援助を求める事態が生じた。その原因は、過度の経済成長の原資を外資に依存しすぎたため、世界不況で輸出市況が低迷したことであるが、その回復には少なくとも数年を要するとみられている。[陸井三郎]

太平洋地域の現況と展望


政治・経済的情勢
イギリスの文明批評家A・J・トインビーは早くから太平洋地域の重要性に着目していたが、1970年代に同じく、イギリスの歴史学者G・バラクラフも、今後世界は「ヨーロッパ・大西洋」の時代から「アジア・太平洋」の時代へと移行するであろうと予言していた。19世紀のヨーロッパの時代が、その工業化の進展に伴う人口増加に象徴されていたことに着目して、アジア地域の急速な工業化と人口増加率の増大に注目してのことである。
 事実、1965年から90年にかけて、「4匹の龍(虎)」とよばれる香港(ホンコン)・韓国・シンガポール・台湾の4か国と、中国と、東南アジアのNIES(ニーズ)(新興工業地域)であるマレーシア・タイ・インドネシアの3か国、計8か国の平均経済成長率は、OECD(経済協力開発機構)諸国の2倍以上となった。世界銀行が93年に有名な『東アジアの奇跡』と題する報告書を発刊したのはまさにこのような事態を反映したものである。
 しかし、1997年7月のタイのバーツ危機を発端とするアジア経済の動揺は、こうした動向の修正を迫ることになった。ちなみに、1965年から96年まで8.9%の成長率をあげた韓国は、98年にはマイナス成長に下落し、同じ期間に6.5%の成長率を続けてきASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国も98年はマイナスに下落するものと予測されたとおり、98年にはアジアの金融危機は各国で深刻な状況となった。翌99年後半には、いったん危機は収まったかのようにもみえたが、実際はその後も不安定な状態が続いている。いわゆる「4匹の龍」のうち台湾は別として、中国もこうした情況に影響を受けて政策の修正を余儀なくされる危険性もないではない。
 アジア諸国、とくにインドネシアや韓国およびタイの通貨危機を、それぞれの国の構造的な特質に起因するものと考え、それを克服できるのでない限り、アジア・太平洋の時代などくるわけがないという説もないではない。すなわち、韓国のような財閥と政府との癒着や、インドネシアのような大統領とその親族による政治・経済の支配などの形態を、クローニー・キャピタリズム(取巻き資本主義)の状態とよび、この状態を脱却できないかぎり、アジア経済の立ち直りはないし、世界史の一時代を画すことはできないとする考え方がそれである。IMF(国際通貨基金)は、これら3国に対する融資条件として構造改革を迫り、たとえば韓国に対して、韓国企業に対する外国人投資限度を1997年中に28%から50%に、98年には55%に拡大すること、および従来認められていなかった韓国金融機関への外国金融機関による株式保有を認めること、さらに国際基準による企業の透明性を高めることなどを要求するに至ったのは、まさにそうした考え方から独立したものではない。
 1997年に端を発するのアジア諸国の経済危機が、その構造的諸要因とは無関係とはいえないが、なによりもその主要因を、経常収支の赤字幅が拡大したこと、さらにその赤字ファイナンスの方法が短期化・不安定化したこと、および流入した短期資金が非生産的な投資に向かってしまったことなどに求める考え方はある程度まで説得的でもある。周知のように、1995年までの円高=ドル安の局面では、多くのアジア諸国がその通貨をドルとリンクしていたために、為替(かわせ)レートが下落し、輸出競争力をつけていた。日本をはじめとする先進諸国からの直接投資は増大する一方、ドル資金の調達もきわめて有利であった。ところが、95年度後半からは、逆に円安=ドル高への転換が発生することになった。その結果、一挙にして為替レートは上昇し、輸出競争力は低下した。海外からの直接投資が伸び悩み始める一方、為替減価時代に投資されてきた設備は過剰化し、不動産市場でバブル化を誘発していたなかで、短期資金の流入に依存する経済運営が進展していた。そこへ、アジア通貨の割高感が将来の切り下げ観測をよび、投機のターゲットにもなりやすい構造になってしまった。その意味では、IMFの救済策が、たとえばインドネシアのケースでも問題となるように、かならずしも最適解を提示したものといわれない理由は十分検討を要することである。
 しかし、だからといって、かつて世界銀行やイギリスの歴史学者バラクラフのとりあげた事態が完全に見失われるようになったわけではない。依然として、アジア諸国の経済的基盤は強力であり、これからもアジア・太平洋地域は世界経済のなかでもっとも強力な経済成長を遂げるであろうという見解も根強く残っている。彼らは、1980年にアジア・太平洋地域が全世界の人口の約35%を占めていること、またGDP(国内総生産)についても80年には21%であったが、不況にあえぎながらも、98年には23~24%くらいは占めるようになり、2010年には諸般の事情を考慮すると、31%くらいには増大するだろうと予測する。EU(ヨーロッパ連合)諸国が世界の総人口の7%強、GDPで29%、アメリカが人口で同じく7%、GDPで30%を占めていることを考えると、アジア・太平洋地域のなかでもアジア諸国の比重の大きさと、世界経済における役割の重要性は否定できないであろう。とはいえ、一国だけで12億強(世界人口の21%強)の人口をかかえ、いままでは順調に経済発展を続けてきた中国も、国営企業の改組、地域格差の是正、アジア諸国の経済改革からの諸影響の克服など多くの問題に直面しており、またアジア地域で最大の経済的比重を占めるわが国自身が、構造改革と経済政策の最適化を可能とする政治体制の変革とで、依然として多くの困難を抱えている。バラクラフはかつて「中国と日本はともに、よみがえるアジアを21世紀に導き入れることができる」と述べたが、この二つの国が、21世紀にいかに行動できるかが「アジア・太平洋」の未来を決めることになることは間違いないであろう。[新野幸次郎]
『G・バラクラフ著、中村英勝・中村妙子訳『現代史序説』(1971・岩波書店) ▽『小学館百科別巻2 海洋大地図』(1980・小学館) ▽経済企画庁総合計画局編『太平洋時代の展望――2000年に至る太平洋地域の経済発展と課題』(1985・大蔵省印刷局) ▽経済企画庁総合計画局編『90年代の太平洋経済――ブッシュ政権の誕生と太平洋経済の課題』(1989・大蔵省印刷局) ▽小島清著『続・太平洋経済圏の生成』(1990・文眞堂) ▽永谷敬三・石垣健一編著『環太平洋経済の発展と日本』(1995・勁草書房) ▽渡辺利夫著『アジア経済の構図を読む』(1998・日本放送出版協会) ▽秋道智彌・田村正孝著『海人たちの自然誌――アジア・太平洋における海の資源利用』(1998・関西学院大学出版会) ▽佐藤幸男著『世界史のなかの太平洋』(1998・国際書院) ▽渡辺輝夫著『太平洋の散歩』(1998・成山堂書院) ▽池田勝彦著『アジア太平洋発展の経済思想』(1999・中央経済社) ▽米倉伸之編著『環太平洋の自然史』(2000・古今書院) ▽E・F・ヴォーゲル著、渡辺利夫訳『アジア四小龍』(中公新書) ▽The World BankThe East Asian Miracle;Economic Growth and Public Policy(1993, Oxford University Press-USA)』

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世界大百科事典内の太平洋の言及

【バルボア】より

…エンシソをスペインへ追放して実質的な指揮権を掌握。その後,金を求めてパナマ地峡を横断し,13年9月25日,〈南の海(マール・デル・スール)〉つまり太平洋を発見。のち,カスティリャ・デ・オロ(ダリエン)の総督ペドラリアス・ダビラPedrarias Dávilaと反目し,19年初頭斬首された。…

※「太平洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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