太平洋(読み)タイヘイヨウ(英語表記)Pacific Ocean

翻訳|Pacific Ocean

デジタル大辞泉 「太平洋」の意味・読み・例文・類語

たいへい‐よう〔‐ヤウ〕【太平洋】

Pacific Ocean三大洋の一。南北アメリカ大陸・アジア・オーストラリア大陸・南極大陸の間にある世界最大の大洋。地球表面の約3分の1を占め、総面積約1億6500万平方キロメートル。平均水深4282メートル。名は、マゼランが1520~1521年に南太平洋を横断したときに平穏な航海だったことに由来。

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精選版 日本国語大辞典 「太平洋」の意味・読み・例文・類語

たいへい‐よう‥ヤウ【太平洋】

  1. ( マゼランが、最初の横断航海が平穏であったところから、平和な海(Mare Pacificum)と名づけたことによる ) 世界最大の海洋。ユーラシア大陸、南・北アメリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸に囲まれ、東は南アメリカ大陸南端のホーン岬で大西洋に、西はタスマニア島を通る東経一四七度線でインド洋に接する。面積は一億六五二四万六千平方キロメートルで、地球の全表面積の三五パーセント、全海洋面積の二分の一を占める。平均水深四二八二メートル。最深部はマリアナ海溝中のチャレンジャー海淵(一万九一一・四メートル)で、世界最深。太平海。
    1. [初出の実例]「太平洋を経て皇国に至り」(出典:西洋聞見録(1869‐71)〈村田文夫〉後)

太平洋の語誌

古くは中国書から取り入れた「寧海」〔和漢三才図会〕、「静海」〔窮理通‐二〕などもあったが、幕末には「太平海」「太平洋」が並用されていた。但し当時は表記として「大平洋」が多く見られる。明治になり漢訳洋書の影響で次第に「太平洋」に統一されていった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太平洋」の意味・わかりやすい解説

太平洋
たいへいよう
Pacific Ocean

位置と大きさ


 大西洋、インド洋とともに三大洋の一つで、面積・体積ともそのなかでもっとも大きい海洋。北から東を南北アメリカ大陸、南は南極大陸、南から西はオーストラリア大陸、インドネシア、アジア大陸東部に囲まれている。北極海とはベーリング海峡、大西洋とはホーン岬からサウス・シェトランド諸島を経て南極半島に至る線、インド洋とはアンダマン諸島、インドネシア、チモール島、オーストラリアのタルボット岬をつなぐ線、オーストラリア西岸から南東端のバス海峡、タスマニア島のサウス・イースト岬から南極大陸に達する東経146度52分の経度線でくぎられる。

 赤道での幅は約1万6000キロメートル、ベーリング海峡からロス海への距離もほぼ同じである。付属海を含めた面積は約1億8000万平方キロメートル、体積は約7億2000万立方キロメートル、平均深度は約4000メートルである。付属海を除いた面積は約1億6500万平方キロメートル、体積は約7億1000万立方キロメートルで、平均深度は約4300メートルになる。

 付属海を入れた太平洋の面積は地球全表面積の35%、全海洋面積の50%を占め、陸地表面積の合計、約1億5000万平方キロメートルより広い。深さも三大洋中最深で、マリアナ海溝、伊豆・小笠原(おがさわら)海溝、トンガ海溝には1万メートルを超す深所がある。

[半澤正男・安井 正・高野健三]

名称の由来


 スペインの探検家バルボアは中央アメリカ探検の際、パナマ地峡のダリエン海岸に沿い西進し、サン・ミゲル湾の対岸に達した1513年9月、山上から眼前に果てしなく広がる大洋を望見した。彼はこの海を「南海」と命名したが、これがヨーロッパ人による太平洋の「発見」である。

 その後、ポルトガルの探検家マジェランは、スペイン王との契約のもとに大西洋を南進して南海探検に出発、38日間の苦闘のすえ、いまのマゼラン海峡を通過、1520年11月「南海」に出た。彼の艦隊はその後、南アメリカ西岸沖を経て南太平洋を横断、食糧と飲料水の欠乏、壊血病などによる98日間の苦しい航海のあとに、マリアナ諸島、さらにフィリピン諸島中のセブ島に着いたが、この航行中、比較的静穏な天候に恵まれ、時化(しけ)らしい時化に遭遇しなかった。このことからマジェランは、「南海」を「太平洋」Mare Pacificumと再命名した。この「太平洋」はマジェランの航行した海域や、南太平洋をさすのに使用されたが、18世紀のJ・クックの世界周航のころから現在の太平洋全体を呼称するものとして定着するようになった。

 日本語の「太平洋」は、ヨーロッパの地図での地名が中国訳を通じて伝わったものである。イタリアの宣教師マテオ・リッチがヨーロッパ版世界図を漢訳し、李子藻(りしそう)が1602年に『坤輿(こんよ)万国全図』として公刊したが、これにはマジェラン海峡の西に「寧海(ねいかい)」と記されている。寧海はMare Pacificumの漢訳で、静かな海という意味である。清(しん)の時代(1612年)にはこれが「太平海」となる。日本では、1661年(寛文1)の鵜飼石斎(うがいせきさい)(1615―64)編『明清闘記(みんしんとうき)』(中国の書物の和刻)に太平海の名がみえている。「太平海」が「太平洋」となって定着したのは明治維新前後で、1858年(安政5)岩瀬忠震(いわせただなり)(蟾州(せんしゅう))訳『地理全志』や、1860年(万延1)大鳥圭介(けいすけ)訳の『万国綜覧(そうらん)』などには「太平洋」が使用されている。

[半澤正男・安井 正・高野健三]

太平洋の自然

海底地形

大西洋ではほぼ中央に大西洋中央海嶺(かいれい)が南北に走るが、太平洋にはそれに相当するものがない。西経110度の経線沿いに東太平洋海膨(かいぼう)が、南部の南極大陸との間には太平洋・南極海嶺が、西部には九州・パラオ海嶺、伊豆・小笠原(おがさわら)海嶺、ノーフォーク海嶺Norfolk Ridge、マッコーリー海嶺Macquarie Ridgeなどが存在し、複雑な海底地形を呈している。

 これらの海嶺に囲まれた形で、太平洋中央部には中央太平洋トラフ(中央太平洋舟状海盆)が広がっている。北はアリューシャン列島から南は南緯60度近くまで、東はアメリカ大陸沿岸から西は日本にまで達し、最深部は深さ4000メートルを超える。

 大陸の海岸、島弧、海嶺に並行して走る海溝が多いことは太平洋海底地形の特徴の一つである。すなわち、アリューシャン列島弧の南沖にはアリューシャン海溝、千島(ちしま)(クリル列島)の東沖には千島・カムチャツカ海溝、東日本の東沖には日本海溝がある。伊豆諸島・小笠原諸島の東には日本海溝に続く伊豆・小笠原海溝があり、さらに南のマリアナ海溝、ヤップ海溝に連なっている。フィリピン諸島の東沖にはフィリピン海溝がある。これらの海溝は非常に深く、マリアナ海溝には世界の海でもっとも深いチャレンジャー海淵(かいえん)(1万0920メートル)がある。ほかにもビチャージ海淵や、トリエステ海淵がある。南太平洋西部、トンガ諸島の東沖には、サモア諸島の南からニュージーランド北島の北東沖にかけてトンガ海溝、ケルマデック海溝があり、ビチャジⅡ・Ⅲ海淵(Ⅱは1万0882メートル、Ⅲは1万0047メートル)がある。南太平洋西部には、ニュー・ブリテン海溝、南ソロモン海溝、ニュー・へブリデス諸島の西沖にニュー・ヘブリデス海溝(南ニュー・ヘブリデス海溝、北ニュー・ヘブリデス海溝)がある。

 北アメリカ沖には海溝はないが、中央アメリカの西沖には中央アメリカ海溝が、さらに南のペルー西沖にはペルー海溝、チリ西沖にはチリ海溝がある。

 太平洋東部の海底には、海膨・海嶺や海溝どうし、あるいは海膨・海嶺と海溝とをつなぎ東西に並行して走る長大な断裂帯が存在する。おもなものは北からメンドシノMendocino、パイオニアPionia、マーレーMurray、モロカイMolokai、クラリオンClarion、クリッパートンClipperton断裂帯である。

 太平洋は海膨・海嶺、海溝、断裂帯の3地形により、大きく太平洋プレート、ナスカプレート、ココスプレート、南極プレートに分けられる。マリアナ海溝の西側はフィリピン海プレートである。

 広大な中央太平洋トラフは、海底の盛りあがりにより、いくつかの海盆に分けられている。ハワイ島に始まり北西に伸びるハワイ海嶺は北緯32度付近のミッドウェー島で北に向きを転じ、アリューシャン列島の沖に連なる北西太平洋海山列となる。これらの西側は北西太平洋海盆、東側は北東太平洋海盆、南側は中央太平洋海盆とよばれている。さらに、ハワイの南にあるクリスマス海嶺から南西のマルケサス諸島、ツアモツ諸島を経て東太平洋海膨に連なる高まりの南東側は南東太平洋海盆、西側は南西太平洋海盆と名づけられている。

 ハワイ島を含むハワイ海嶺と北西太平洋海山列は地球深部からマグマが間欠的に地表に大量に供給される、ホットスポット現象の典型として有名である。

 現在のハワイ島の位置にあるホットスポットからマグマが供給されて島が形成される。形成された島はまわりの海底(プレート)の動きに乗って北西に移動する。しばらくして、ホットスポットから新しいマグマが給供され、新しい島が形成される。この繰り返しにより島の列ができる。海底の深さは、海膨から海溝に向かいしだいに深くなっているから、ホットスポットの位置から遠ざかるにしたがい、島の標高が低くなり、やがて海面下に没し、海山列となる。北緯32度付近で、海山列の方向が北西から北に変わっているのは、転向点の位置で桓武(かんむ)海山が形成された時期(約4000万年前)にプレートの進行が、北向きから北西向きに変化したためとされている。

 北西太平洋海山列の海山にはアメリカの学者により、「神武(じんむ)」「綏靖(すいぜい)」など日本の天皇名がつけられていて、天皇海山列Emperor Seamountsともよばれている。

[半澤正男・安井 正・高野健三]

海洋気象

北半球では、冬の間、太平洋の海上気象を支配するものは、強いアリューシャンの低気圧と強いシベリア高気圧(アジア高気圧)で、北太平洋高気圧(中緯度高気圧)は弱い。夏になると、北太平洋高気圧が強くなり、アジア大陸部は南アジア低気圧に覆われる。南半球では、オーストラリア大陸は、北半球の大陸部とは逆に、北半球の冬には低気圧に覆われ、夏には高気圧に覆われる。

 日本を含めアジア大陸の東縁部は、このような夏冬の気圧配置の影響を受け、冬の北西の季節風(モンスーン)、夏の南東の季節風が卓越する。夏から秋にかけて熱帯低気圧(台風)の常襲地域となっている。さらに冬は寒く、夏は暑い「東岸気候」の特徴も現れるが、同緯度の大陸内部より温和な気候で、海洋の影響を強く受けた「海洋気候」の特徴も兼ね備えている。南半球には大きな大陸がないので南太平洋の季節風は北太平洋ほどには明瞭(めいりょう)ではない。

 北太平洋の西、南西側(東は東経145度のマリアナ諸島付近まで、南はほぼ赤道まで)は季節風帯である。南太平洋では、北半球の冬季、オーストラリア大陸からの北西の季節風がニューギニア島の東からソロモン諸島に至る海域に吹く。

 太平洋の赤道域では、西部の気圧と東部の気圧とが、数年の周期で(一方が高くなれば他方が低くなる)シーソー現象をおこす。この現象を南方振動Southern Oscillationという。西部の気圧が低く、東部の気圧が高い状態のときには、海面では東風が卓越し、逆の状態に推移すれば東風は弱まり、ときには逆転して西風になる。オーストラリア北部のダーウィン(東経131度)と南太平洋のタヒチ島(西経150度)との地上気圧の差を南方振動指数(SOI)とよび、熱帯大気の年々変動の指標としている。南方振動とエルニーニョ現象は大気・海洋結合システムの振動現象だから、両者を一括してENSO(エンソ)(エルニーニョ/南方振動)という。南方振動の影響で貿易風は大西洋に比べ一般に弱く、また恒常性が低い。また赤道無風帯(北緯5度~北緯10度)の幅は大西洋のそれより広い。

[半澤正男・安井 正・高野健三]

表面海流

北太平洋では中緯度高気圧に対応して大きな時計回りの亜熱帯循環(環流)がある。これを形成する表面海流は南から時計回りに北赤道海流、黒潮、黒潮続流、北太平洋海流、カリフォルニア海流であり、これが北赤道海流に続いて循環を形成する。この循環の北には反時計回りの別の循環がある。北太平洋海流の一部が分枝して北上、アラスカ湾に入り反時計回りにベーリング海を西進、ついでカムチャツカ半島の沖で南進、日本の北東沿岸に達する。この最終の部分が親潮(おやしお)である。

 南太平洋にも、北太平洋のそれに対応する巨大な循環がある。これを形成する表面海流は北から反時計回りに南赤道海流、東オーストラリア海流、西風海流、周南極海流、南アメリカ西岸沖を北上するペルー海流(フンボルト海流)で、ペルー海流は南赤道海流に連なり循環を形成する。南太平洋で北の黒潮に対応するものは東オーストラリア海流であるが、これは黒潮ほど強大ではなく、最大流速も2ノット(毎秒1キロメートル)程度である。南太平洋の循環系の特徴は、循環の北西縁辺部がニューギニアからニュージーランドに至る多くの島の存在のため明瞭でないことである。

 南太平洋南部はインド洋と大西洋とに連結しているから、南極大陸を取り巻いて、流速が遅いわりには流量が非常に大きい周南極海流が流れている。

 ほかには赤道に沿って西に流れる赤道海流を挟み、北側に赤道反流、南側にギニア海流が東向きに流れる。

[半澤正男・安井 正・高野健三]

海面水温・塩分・潮汐・海氷


(1)海面水温 海面水温の分布は海流の様相と密接に結び付いている。最高水温帯は赤道直下でなく、やや北の北緯5度付近にある。熱帯域の高温水帯は東側で狭いが、西側では赤道海流が南北に分枝するため広がり、暖かい熱帯系水が広範囲に分布している。夏冬とも太平洋の東側、赤道直下では西経140度付近まで周囲より水温が低い。これは太平洋の東側の湧昇や南アメリカ沖のペルー海流の影響による。

 同じ緯度でも海流の影響で大きな水温差があり、北緯35度を例にとると、夏季日本側の水温は約25℃、カリフォルニア側は約15℃と低い。南半球の夏(2月)、南緯20度で、オーストラリア沿岸は約27℃、チリ沿岸は19℃である。北太平洋の北部では一般に高温域が東側に、低温域が西側の親潮域にみられる。

(2)塩分 北太平洋の表面塩分はほかの大洋のそれより低いのが特徴。大西洋の表面塩分の最大が37.0psu以上であるのに対し、北太平洋のそれは35.5psu程度である。南太平洋の表面塩分は、南大西洋、インド洋とほぼ等しい。赤道を挟んで南北にそれぞれ高塩分域があり、おのおののさらに高緯度側には低塩分域が広がっている。北太平洋東部にはわりあい低塩分の海域が帯状に西経150度付近にまで達している。

(3)潮汐(ちょうせき) 大潮差はマゼラン海峡など10メートルを超える所もあるが、太平洋の沿岸では1.0~1.7メートルぐらいである。黄海、東シナ海などの縁海では2メートル以下の潮差はない。また、オホーツク海北部のペンジナ湾奥のように、11メートルに達する所もあるが、日本海では潮差は小さく数十センチメートルにすぎない。南シナ海、フィリピン海、ボルネオ諸島沿岸は2メートル前後である。

(4)海氷 ベーリング海の海氷は陸棚上では11~6月に多いが、中央部(海盆部)では少ない。氷山はアラスカ沿岸の北緯55~60度の湾奥などでみられるだけである。北海道のオホーツク海沿岸と太平洋岸の一部ではこの付近で生成した海氷のほか、北方で生成し漂流してきた海氷すなわち流氷が多い。普通1月中旬に到来し、4月に東方に去ってゆく。

[半澤正男・安井 正・高野健三]

海洋資源

生物資源の活用、すなわち漁業の主要漁場は、北西部(日本近海を含む)、東部(とくにペルー、エクアドル沖)、南西部(インドネシア近海)などである。赤道海域でマグロ、北西部でスケトウダラ、サケ、マス、カニ、サバ、イワシなどが、東部ではアンチョビーなどが、南西部でエビなどが漁獲されている。日本近海とくに三陸沖は親潮、黒潮の寒暖両流が相接する潮境で、栄養塩量が多くプランクトンが豊富で、世界三大漁場の一つである。南アメリカ西岸沖のアンチョビー漁や赤道海域におけるマグロ漁は、それぞれの海域における湧昇流による栄養塩の補給に基づいている。生物資源の開発は、漁業専管水域問題、各国の漁業技術水準や食習慣の違いなど、政治的、社会的なかかわり合いが多く、単純に解決できない問題を多く含んでいる。

 海底石油・天然ガス資源の開発が行われているところは、アメリカ西海岸、東南アジアではマレーシア沖、スマトラ―ジャワ沖、ボルネオ島のサラワクやカリマンタン沖、オーストラリアではビクトリア州沖などである。東南日本の沿岸の海底にある氷状のメタン、メタンハイドレートは燃焼時に出る二酸化炭素の放出量が石炭や石油の50~60%のクリーンエネルギーとして最近は注目を集めている。海底鉱物資源としてはマンガン、コバルト、ニッケル、銅などで、赤道を隔てて南北の中部太平洋に広く分布している。大陸縁辺部には、アラスカのノーム沖の砂金鉱床、スマトラ沖の砂錫(さすず)鉱床など、採掘中か開発をまつ資源が存在する。1960年代後半からのプレートテクトニクス理論や深海調査技術の進歩から、プレート境界面における海底の金属鉱床(硫化物、燐(りん)鉱床)が東太平洋のカリフォルニア沖や南アメリカ西岸沖に発見されている。

 このように太平洋は各種の海洋資源に富んではいるが、商業ベースにのる採取・採掘の行われているものは、水産、海底石油・天然ガス、土木・建築工事用の砂・小石など一部の鉱物資源で、ほかは開発中あるいは構想の段階にあるものが多い。

[半澤正男・安井 正・高野健三]

太平洋の歴史

太平洋の諸民族と文明

地球上もっとも広大な海洋である太平洋を隔てても、西側のアジア大陸・日本列島などと、東側のアメリカ大陸との間にはきわめて古くから北方のクリル(千島)、アリューシャン両列島沿いに、また太平洋の火山性・サンゴ礁諸島沿いに活発な民族移動が行われ、さらに東南アジア諸国と南太平洋諸島、南半球のオーストラリア、ニュージーランドと周辺諸島でも頻繁な民族移動が古来行われてきた。アジアでは中国文明についてはいうまでもなく、東シベリア、日本列島、朝鮮半島、東南アジアでも、1万~8000年前にかなりの生活水準と、ある程度の文化をもっていたことが考古学的に立証されている。一方、アメリカ大陸では16世紀からのスペインによる侵入征服のはるか以前に、マヤ、インカ両文明が、脳外科手術、煙による高速通信網、絵画・彫刻などを含む高度の文明を築き上げていた。北アメリカの先住民(いわゆるアメリカ・インディアン、ヨーロッパ人到来以前の推定人口約450万)、オーストラリアの先住民アボリジニー、ニュージーランドの先住民マオリ、その他の太平洋諸島の先住民も、相応の生活水準と独自の文化とをもっていた。重要なことは、ヨーロッパ・ルネサンス以降の近代科学勃興(ぼっこう)以前には、ヨーロッパとアフリカとアジアとアメリカではほぼ同程度といえるそれぞれの生活と文化の水準を保っていたという事実である。ヨーロッパ、アメリカ、日本など近代国家による太平洋諸地域の征服と領有は、近々200~300年の歴史にすぎない。

[陸井三郎]

欧米諸国の太平洋進出と征服

ヨーロッパ人が太平洋を「発見」するのは1513年、バルボアの探検による。ついでマジェランがフィリピンのセブ島に到来し、この海を「太平洋」と命名、スペインによるフィリピン領有を先導する。これより先スペインは、現在のアメリカ合衆国南部・メキシコおよび中南米に進出、征服する。ポルトガルがこれに続きブラジルを植民地化。18~19世紀にはイギリスがオーストラリア、ニュージーランドと周辺諸島、マレー半島・シンガポール、ボルネオを植民地化。オランダによるインドネシア、フランスによるインドシナ3国などの領有が進む。19世紀なかば以降にはイギリス、ロシア、ドイツ、フランスの太平洋諸地域への進出が一段と本格化し、これら列強による中国の植民地化ないし半植民地化も進む。アヘン戦争(1840~42)の結果によるイギリスの香港(ホンコン)領有、アメリカ・スペイン戦争によるアメリカのグアム、フィリピン領有とハワイ併合(ともに1898年)、ドイツの青島(チンタオ)領有とカロリン諸島購入、ロシアの中国東北部(旧満州)進出、日清(にっしん)戦争による日本の台湾領有などは、その代表例の若干にすぎない。第一次と第二次の両世界大戦間の時期には、太平洋地域の米、欧、日による植民地体制の維持が続いた。しかし第二次世界大戦後には、植民地化された諸国ないし諸民族は相次いで独立を達成、1970年代からは太平洋諸島も、ハワイ、グアム、東チモールを除いて次々に独立、2002年には東チモールが独立を成し遂げた。だが同時に、第二次世界大戦から半世紀近くの間に、朝鮮戦争(1950~53)、第一次インドシナ戦争(1946~54)、ベトナム戦争(1961~75)というように、もっとも激動と戦乱の続いたのもこの地域であったことを見落とすべきではない。

[陸井三郎]

日本と太平洋

江戸幕府の鎖国時代を除けば、日本列島は必然的に太平洋周辺諸国と政治的、経済的、文化的に結び付けられてきた。日本とアジア大陸諸国との交易路にあたる西太平洋での倭寇(わこう)の活動を別としても、鎖国前にルソン(フィリピン)、アンナン(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)、ジャワ(インドネシア)には日本人移民集落が生まれていた。明治以降に急激に近代化した日本は、西太平洋と東アジアの制覇戦において米英などの西欧列強およびアジアの民族解放諸勢力の前に敗北した。だが、1980~90年代に入って、中国、韓国、香港(ホンコン)、台湾、それにベトナムなどインドシナ諸国を加えたASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国の急激な経済発展があり、それに伴う先進諸国との貿易およびこれら諸国間の域内貿易も著しく進展した。経済発展に関するかぎり、20世紀末から21世紀初めにかけては太平洋の時代というよりは、東アジアの時代に入ったと思われた。だが、97年秋からタイ、インドネシア、マレーシア、韓国などの東アジア諸国では急激な通貨不安と国内通貨価値の暴落が起こり、IMF(国際通貨基金)の緊急援助を求める事態が生じた。その原因は、過度の経済成長の原資を外資に依存しすぎたため、世界不況で輸出市況が低迷したことであるが、その回復には少なくとも数年を要するとみられている。

[陸井三郎]

太平洋地域の現況と展望

政治・経済的情勢

イギリスの文明批評家A・J・トインビーは早くから太平洋地域の重要性に着目していたが、1970年代に同じく、イギリスの歴史学者G・バラクラフも、今後世界は「ヨーロッパ・大西洋」の時代から「アジア・太平洋」の時代へと移行するであろうと予言していた。19世紀のヨーロッパの時代が、その工業化の進展に伴う人口増加に象徴されていたことに着目して、アジア地域の急速な工業化と人口増加率の増大に注目してのことである。

 事実、1965年から90年にかけて、「4匹の龍(虎)」とよばれる香港(ホンコン)・韓国・シンガポール・台湾の4か国と、中国と、東南アジアのNIES(ニーズ)(新興工業地域)であるマレーシア・タイ・インドネシアの3か国、計8か国の平均経済成長率は、OECD(経済協力開発機構)諸国の2倍以上となった。世界銀行が93年に有名な『東アジアの奇跡』と題する報告書を発刊したのはまさにこのような事態を反映したものである。

 しかし、1997年7月のタイのバーツ危機を発端とするアジア経済の動揺は、こうした動向の修正を迫ることになった。ちなみに、1965年から96年まで8.9%の成長率をあげた韓国は、98年にはマイナス成長に下落し、同じ期間に6.5%の成長率を続けてきASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国も98年はマイナスに下落するものと予測されたとおり、98年にはアジアの金融危機は各国で深刻な状況となった。翌99年後半には、いったん危機は収まったかのようにもみえたが、実際はその後も不安定な状態が続いている。いわゆる「4匹の龍」のうち台湾は別として、中国もこうした情況に影響を受けて政策の修正を余儀なくされる危険性もないではない。

 アジア諸国、とくにインドネシアや韓国およびタイの通貨危機を、それぞれの国の構造的な特質に起因するものと考え、それを克服できるのでない限り、アジア・太平洋の時代などくるわけがないという説もないではない。すなわち、韓国のような財閥と政府との癒着や、インドネシアのような大統領とその親族による政治・経済の支配などの形態を、クローニー・キャピタリズム(取巻き資本主義)の状態とよび、この状態を脱却できないかぎり、アジア経済の立ち直りはないし、世界史の一時代を画すことはできないとする考え方がそれである。IMF(国際通貨基金)は、これら3国に対する融資条件として構造改革を迫り、たとえば韓国に対して、韓国企業に対する外国人投資限度を1997年中に28%から50%に、98年には55%に拡大すること、および従来認められていなかった韓国金融機関への外国金融機関による株式保有を認めること、さらに国際基準による企業の透明性を高めることなどを要求するに至ったのは、まさにそうした考え方から独立したものではない。

 1997年に端を発するのアジア諸国の経済危機が、その構造的諸要因とは無関係とはいえないが、なによりもその主要因を、経常収支の赤字幅が拡大したこと、さらにその赤字ファイナンスの方法が短期化・不安定化したこと、および流入した短期資金が非生産的な投資に向かってしまったことなどに求める考え方はある程度まで説得的でもある。周知のように、1995年までの円高=ドル安の局面では、多くのアジア諸国がその通貨をドルとリンクしていたために、為替(かわせ)レートが下落し、輸出競争力をつけていた。日本をはじめとする先進諸国からの直接投資は増大する一方、ドル資金の調達もきわめて有利であった。ところが、95年度後半からは、逆に円安=ドル高への転換が発生することになった。その結果、一挙にして為替レートは上昇し、輸出競争力は低下した。海外からの直接投資が伸び悩み始める一方、為替減価時代に投資されてきた設備は過剰化し、不動産市場でバブル化を誘発していたなかで、短期資金の流入に依存する経済運営が進展していた。そこへ、アジア通貨の割高感が将来の切り下げ観測をよび、投機のターゲットにもなりやすい構造になってしまった。その意味では、IMFの救済策が、たとえばインドネシアのケースでも問題となるように、かならずしも最適解を提示したものといわれない理由は十分検討を要することである。

 しかし、だからといって、かつて世界銀行やイギリスの歴史学者バラクラフのとりあげた事態が完全に見失われるようになったわけではない。依然として、アジア諸国の経済的基盤は強力であり、これからもアジア・太平洋地域は世界経済のなかでもっとも強力な経済成長を遂げるであろうという見解も根強く残っている。彼らは、1980年にアジア・太平洋地域が全世界の人口の約35%を占めていること、またGDP(国内総生産)についても80年には21%であったが、不況にあえぎながらも、98年には23~24%くらいは占めるようになり、2010年には諸般の事情を考慮すると、31%くらいには増大するだろうと予測する。EU(ヨーロッパ連合)諸国が世界の総人口の7%強、GDPで29%、アメリカが人口で同じく7%、GDPで30%を占めていることを考えると、アジア・太平洋地域のなかでもアジア諸国の比重の大きさと、世界経済における役割の重要性は否定できないであろう。とはいえ、一国だけで12億強(世界人口の21%強)の人口をかかえ、いままでは順調に経済発展を続けてきた中国も、国営企業の改組、地域格差の是正、アジア諸国の経済改革からの諸影響の克服など多くの問題に直面しており、またアジア地域で最大の経済的比重を占めるわが国自身が、構造改革と経済政策の最適化を可能とする政治体制の変革とで、依然として多くの困難を抱えている。バラクラフはかつて「中国と日本はともに、よみがえるアジアを21世紀に導き入れることができる」と述べたが、この二つの国が、21世紀にいかに行動できるかが「アジア・太平洋」の未来を決めることになることは間違いないであろう。

[新野幸次郎]

『G・バラクラフ著、中村英勝・中村妙子訳『現代史序説』(1971・岩波書店)』『『小学館百科別巻2 海洋大地図』(1980・小学館)』『経済企画庁総合計画局編『太平洋時代の展望――2000年に至る太平洋地域の経済発展と課題』(1985・大蔵省印刷局)』『経済企画庁総合計画局編『90年代の太平洋経済――ブッシュ政権の誕生と太平洋経済の課題』(1989・大蔵省印刷局)』『小島清著『続・太平洋経済圏の生成』(1990・文眞堂)』『永谷敬三・石垣健一編著『環太平洋経済の発展と日本』(1995・勁草書房)』『渡辺利夫著『アジア経済の構図を読む』(1998・日本放送出版協会)』『秋道智彌・田村正孝著『海人たちの自然誌――アジア・太平洋における海の資源利用』(1998・関西学院大学出版会)』『佐藤幸男著『世界史のなかの太平洋』(1998・国際書院)』『渡辺輝夫著『太平洋の散歩』(1998・成山堂書院)』『池田勝彦著『アジア太平洋発展の経済思想』(1999・中央経済社)』『米倉伸之編著『環太平洋の自然史』(2000・古今書院)』『E・F・ヴォーゲル著、渡辺利夫訳『アジア四小龍』(中公新書)』『The World BankThe East Asian Miracle;Economic Growth and Public Policy(1993, Oxford University Press-USA)』


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改訂新版 世界大百科事典 「太平洋」の意味・わかりやすい解説

太平洋 (たいへいよう)
Pacific Ocean

世界三大海洋のうち最大で,西はアジア,南はオーストラリアと南極,東は南北アメリカ大陸で囲まれる。面積1億7967万9000km2,容積7億2370万km3,平均水深4028m,最大水深はマリアナ海溝の1万0915mである。付属海はカリフォルニア湾を除くとほとんど西岸沿いにあり,北から南へベーリング海,オホーツク海,日本海,黄海,東シナ海(東海),南シナ海(南海),セレベス海,バンダ海と並ぶ。地質学的にはフィリピン海も入る。なお,南極大陸から南極収束線(太平洋では南緯60°付近)までを一般に南極海と呼ぶ。南極海は太平洋,インド洋,大西洋の一部であるが,気象,海流,生物分布などについて共通する部分が多く,それらについては〈南極海〉の項目を参照されたい。

他の二大海洋と異なる太平洋海底地形の大きな特徴は,その大半が水深4000m以上の平坦な大洋底で占められること,中央海嶺に相当する東太平洋海膨が著しく南東に偏って存在すること,周辺が海溝で縁どられることが多く(地球の大半の海溝は太平洋にある),かつその内陸側に深発地震帯や活火山帯で代表されるように今なお活動的な造山帯が発達すること,無数といってよい大洋島,海山,ギヨー,孤立サンゴ礁が発達し,その多くが特定方向に連なっていることである。

 こうした地形的特徴は,地磁気探査や弾性波(人工地震波)探査などの地球物理学的方法と深海底ボーリング結果の地質学的研究などとの総合的判断により,次のように解釈されている。約1億年前以来,東太平洋海膨ないしその前身の中軸沿いに,大洋底基盤をつくる玄武岩が流れ出し続け,側方に広がってきた。したがって,同海膨から最も遠くにある北西縁では,最も古い基盤岩とその直上堆積物,つまり中生代ジュラ紀末のものが発見される。基盤岩上の海洋堆積物の厚さも北西に向かうほど増加する。この太平洋基盤岩は本質的には1枚の板のようなもの(プレート)であって,大洋プレートは他の,特に大陸プレートにぶつかると,その下に潜り込んでいく。この潜り込み部が海溝で,潜り込む大洋プレートが生じる摩擦エネルギーの断続的解放によって,内陸側にゆるく傾斜する深発地震帯が生まれ,また潜り込んだ物質が再溶融して内陸側に火山帯として噴出する。太平洋周辺に発達する環太平洋造山帯の原動力の一つとも考えられている。太平洋における海洋底拡大の中軸を成す東太平洋海膨自体が東方へ移動し,その北端は北アメリカプレート下に潜り込んでいるとみなされており,十分な大陸棚の発達も妨げている。中央海嶺はしばしばトランスフォーム断層で横断されているが,東太平洋縁では地磁気異常パターンのみならず海底地形にも顕著な東西性の断層として,南より北へかけマルケサス断裂帯など多数の断裂帯が並ぶ。その最北部にあるメンドシノ断裂帯の東端は北アメリカ大陸に至って,サン・アンドレアス断層に連なる。

 太平洋の海溝部における大洋プレートの潜り込みの形式をチリ型とマリアナ型とに分類することがある(マリアナ海溝)。前者は低角度で潜り込むために海洋基盤上の大洋堆積物は取り残されて海溝を越え,まくれ上がりながら大陸プレート前面に付加され,また南米沖に典型的に見られるように巨大地震を引き起こし,大陸棚の発達を妨げる。後者は高角度で大洋堆積物もスムーズに潜り込む。太平洋西縁沿いでは,チリ型(例,日本海溝)とともにマリアナ型海溝が存在する。太平洋西側に弧を描く島弧や海嶺を前面におく縁辺海が多数発達する。そうした縁辺海自身が,第三紀以降のいろいろな段階で太平洋主部と同様に拡大していると思われているが,その詳細については未解決の点が多い。これら縁辺海内部,特に大陸側では,大河川による堆積物供給も一因となって大陸棚が広く発達する。その多くが太平洋プレートの拡大方向に並ぶ大洋島や海山の列は,大洋底のある地域(ホット・スポット)から噴出してできた火山島が大洋底の拡大移動とともに北西へ移動してきた結果である。したがって北西に向かうほど形成時代は古くなり,海面下深く沈む海山あるいはギヨーになる。このパターンは,ハワイ海嶺から天皇海山列にかけてよく解明されているが,他については未解決の点が多い。こうした火山島の沈降とサンゴ礁の成育,特に上方成長がつり合うと,太平洋熱帯域に広く分布する孤立サンゴ礁が発達する。

広大な太平洋の大部分の海底では,陸地からの砂泥の供給が届かず,プランクトン遺骸,その溶解残渣(ざんさ),海底火山分解物質,自生鉱物などがおもな材料となっている。したがってプランクトン生産量を支配する表層海流の状況と海底地形が,その分布を左右する。そこで,ケイ藻を主とし放散虫を従とするケイ質軟泥は,南北両極前線を中心に分布するほか,ペルー海流の北上に伴って南米沖に延びる。放散虫を主とするケイ質軟泥は,北赤道海流と赤道反流の間に生じる湧昇流地帯に沿って帯状に分布する。水深増大に伴う溶解度増加,海水中の炭酸ガス分圧増加,表層プランクトン生産量の限定により,太平洋では約4000m以深では石灰質プランクトン死骸はもちろん,ケイ質のものも溶解している。その残渣と海底火山分解物を主とした褐色粘土が広く分布することになる。プランクトン起源の石灰質軟泥は4000m以浅の海嶺や海膨上に限って分布する。こうした現世堆積物の分布パターンの詳細は,堆積物柱状サンプルでも認められ,地質時代をさかのぼって,海底拡大に伴い古海洋学環境がいかに変わってきたかを知るのに役立っている。
海底堆積物

海底に長くさらされ平均10万年に厚さ1mmの速度で被覆成長するマンガン団塊は,ニッケル,コバルトを含む有用な金属資源であるが,太平洋,特に北太平洋の海嶺上に広く分布する。海底表面のみで,大西洋,インド洋における合計に匹敵する1000億tの団塊があるとの試算され,世界各国によって積極的に調査されている。また,戦略物質であるコバルトを多量に輸入しているアメリカは,近年同国経済水域内にある海山や海台上などにコバルトをかなり多く含む層(厚さ約10cm以下)が発達していることを知り,マンガン団塊より採掘が容易なコバルト層の開発を目ざしている。

 1979年,深海潜水艇アルビン号によって東太平洋海膨北端近くの軸上で,マグマと海水の反応によって黒煙が立ち昇り,周囲に多量の金属硫化物が形成中であるのが観察された。同様な鉱床は,他の拡大軸上でも期待されており,マンガン団塊と異なり,採掘後も再生されてくる銅,亜鉛,鉛などの鉱床として注目をあびている。海底石油・ガス鉱床としては,生物遺骸の十分な供給と,それを埋め立てる土砂の運搬,隣接陸域と類似の地質構造をもつという点から,南カリフォルニア沖,アラスカ沖,渤海湾油田で代表されるような太平洋西縁に並ぶ縁辺海,南極大陸周縁帯などが有望であり,一部は開発,採取されている。
執筆者:

降水量と河川水の流入量の和が海面からの蒸発量を上回る大洋は太平洋だけであり,海水の塩分は低い。このため,深層まで沈んでいくほどの重い水が表層でつくられないから,大西洋に見られるような大規模な対流は存在しない。太平洋の深層に広がるのは北大西洋北部と南極海の表層から深層へ沈降した水である。太平洋にたどりつくまでにまわりの水とまじりあうから,沈降時の高塩分,低温という特徴は太平洋の深層ではほぼ失われている。海水が表層から沈降して大気との接触を絶たれると酸素は生物によって消費される一方である。消費量は生物活動に左右されるが,溶存酸素量はおおざっぱにいえば時間とともに減っていくから,溶けている酸素の量も大西洋やインド洋の深層に比べると少ない。深層の水の年齢(表層から沈降したあとの年数)を炭素の同位体14Cを使って求めると,大西洋では数百年となるが太平洋では1000年以上がふつうであり,北太平洋では2000年以上になる。太平洋の深層を満たしている水は世界で最も古い水である。古いだけによくまじりあっているので,水温,塩分,酸素などの空間変化は大西洋の深層よりもずっと小さい。したがって深層の水の平均の動きも弱い。日本海や地中海など縁海を除けば,太平洋は面積,体積とも大西洋の約2倍もあって陸地の影響が小さいため,表層でも太平洋のほうが大西洋よりも変化が小さい。深層の水温は太平洋が大西洋よりも高いが,大洋全体での平均水温は太平洋が3.36℃,大西洋が3.73℃で太平洋のほうが低い。全海洋の平均水温は3.52℃である。
海水

北半球の表層では赤道から中緯度にかけては時計の針と同じ向きの循環,高緯度では逆向きの循環が卓越する。南半球では高緯度を除けば赤道に関して北半球とほぼ対称な循環となる。赤道では南赤道海流が西に流れるが,その直下,深さ50~150mをほぼ南緯1°から北緯1°にわたって東向きに流れる赤道潜流がある。南赤道海流の北を(北)赤道反流が東へ,そのさらに北側を北赤道海流が西へ流れる。北赤道海流の一部は黒潮へつながる。黒潮の流量は毎秒約6000万tとされており,南極環流,湾流についで世界第3位の流量となっている。時計の針と同じ向きの循環の一部としてカリフォルニア海流が南下する。その流量は毎秒約1500万tである。北赤道海流の毎秒の流量は約4500万t,赤道反流が約2500万t,赤道潜流が約4000万tとされている。

 黒潮の水は暖かいから大気は下から暖められて不安定(下層の空気が軽い)になり,上昇気流が生じやすく,雲ができやすい。一方,カリフォルニア海流の水は冷たいから大気は下から冷やされて安定し,上昇気流は起きにくい。雲は少なく雨は降らず,晴天の日が多くなる。一例をあげると,水戸とサンフランシスコはほぼ同じ緯度にあるが,サンフランシスコの降水量は水戸(1341mm/年)の1/3あまりにすぎない。赤道では西向きに吹く貿易風のため,表層海水の発散が起きて下層から冷たい水が昇ってくる。赤道での表面水温はその北側や南側よりも低い。下層の水温は深さが同じなら赤道西部が東部よりも高いし,東部で表層に湧昇した水が南赤道海流に乗って西へ運ばれる間に太陽放射によって暖められるから,赤道西部の表面水温は東部よりも高く,その差は5℃を超える。湧昇に伴って下層の栄養塩が表層に供給されるので,赤道海域の生物生産性は高い。
海洋大循環 →海流

北赤道海流も西へ流れる間に太陽放射によって暖められ,大気を下から強く熱し,上昇気流を発達させる。暖かい海水から盛んに蒸発した水蒸気は上昇気流に乗って上へ運ばれ,冷やされて水に戻る。水に戻る際に潜熱(水1gについて約580cal)を大気に与える。また,海面と大気との間の摩擦が小さいので海上の大気は陸上の大気よりも動きやすい。これらが西太平洋で熱帯低気圧(台風)が発生する原因の一部になっている。この海域で発生する台風は1年に25~30個で,世界中で発生する熱帯低気圧の半数に近い。日本沿岸や南シナ海や東シナ海を熱帯低気圧や温帯低気圧が通ると高潮が起きることがある。日本を襲った大きな高潮の高さは3m前後である。

ほかの海に比べて太平洋で多いのは津波である。津波は海底地震のほか海底火山の爆発や核爆発実験や地すべりでも起きる。三陸地方には20mを超える津波がたびたび押し寄せた。外洋を伝搬する波の減衰は弱いので津波は遠くへ届く。1960年にチリ沖で起きた津波の高さは1万7000kmも離れた日本沿岸でも6mを超えた。

オホーツク海やニューギニア東方などを除くと半日周期の潮汐が大きい。大潮での平均潮差(大潮差)は日本沿岸では1mくらいの所が多いが,アンカレジやチリ南部では10m近くに達する。1日周期の大潮差はニューギニアでは5m近くに達する所もあるが,1mたらずの所が多い。
執筆者:

太平洋の沿岸浅海生物相は,赤道の南北に熱帯から亜寒帯までの各海洋生物気候帯がほぼ緯度と平行に見られる点で,大西洋と同様である。しかし,銚子からカリフォルニア北部に及ぶ〈北太平洋生物地理区〉の亜寒帯・冷温帯性の生物群を除き,東西両岸にはまったく違った生物相が存在する点で,大西洋とは著しく異なる。奄美大島以南オーストラリア北半部までの東はハワイやポリネシアに至る低緯度西太平洋海域には〈インド・西太平洋海洋生物地理区〉に属する熱帯性生物相が見られるが,他方,東太平洋の熱帯性海域には,むしろ大西洋の西インドの種類に類縁の深い特異な生物相が存在する。そこで,西太平洋区の東端と南北アメリカ大陸沿岸との間に,〈東太平洋障害East Pacific barrier〉と呼ばれる分布の断絶が想定され,海流による海産生物の幼生の運搬がこの2海域を隔てる長大な距離によって阻止されるからであるとされたが,近年ではアメリカ大陸沿いの沿岸水の存在も要因の一つとされている。

 太平洋の広さは生物生産量の分布にも反映される。大きな陸塊に接する縁辺部は表層の植物プランクトンによる基礎生産量が高く(炭素にして250mg/m2・日),大洋としては富栄養域となり,その沖合の幅の狭い海域が帯状に中栄養域(炭素にして100~250mg/m2・日)となっているが,さらに沖合の中央部が貧栄養域(炭素にして100mg/m2・日)となっていて大西洋やインド洋の場合より広い面積を占める。ただし赤道に沿う海域では,南アメリカの北西隅から舌状に中栄養域が真西に向かって延び,貧栄養域を分断する。太平洋底は5000~6000mの深度でほぼ平坦な大洋底をなし,ベントス(底生生物)の生物量(現存量)も,縁辺部に高生物量富栄養域(1.0g/m2以上),沖合帯状部に中生物量域(0.05~1.0g/m2)があり,中央部が貧栄養域(0.05~0.01g/m2)となるばかりでなく赤道域に中生物量域が張り出す点でも,表層の基礎生産量の分布によく一致している。

 太平洋の深海には日本海溝など多くの海溝が存在する。ベントスの生物量は水深の増加に反比例して減少するのが原則であるが,海溝の多くは陸岸に沿って位置するため,高い表層生産量に加えて陸上の生物生産物(陸上植物の遺骸)も流入し,6000~1万1000mに及ぶ大深度の割には生物量も高い。また海谷の生物相は周囲の大洋底のそれとは異なるが,さらに各個の海溝が地理的に隔離されているため,種の分化を生じ海溝ごとに特有な固有種が見られる。
執筆者:

1979年のFAO(国連食糧農業機関)の統計によれば,海獣,海藻を除いた世界の総漁獲量は7129万t,太平洋では3526万tであり,全海面漁獲量の55.3%を占める(表)。これは海区面積比49.6%よりやや多い程度である。表からわかるように漁獲量の52%を北西海区で得ており,FAO海区面積当り漁獲量としては最も多い0.89t/km2になる。この約1/6はおもにオホーツク海,ベーリング海で漁獲されるスケトウダラで同海区で314万t(北東区も含めて395万t),マサバ216万t,マイワシ200万tと続く。サケ・マス類は30万tで同海区の魚種別漁獲量としては多くないが,全海面漁獲量の51%を同海区が占め,太平洋の北西区と北東区をあわせた北区全体では96%にもなる。アサクサノリ,テングサなどの紅藻は採取量の69%を本海区で得ており,日本では46%(湿重量34万t)に達する。またコンブ,ワカメなどの褐藻では本海区で82%(中国51%,日本11%)を採取している。次に漁獲量の多い南東区は0.42t/km2の漁獲をあげているが,アンチョベッタ(ペルー産カタクチイワシ)が1306万tも獲れた70年には0.83t/km2にも達した。この海区は79年にマイワシ近縁種335万t,アンチョベッタ141万t,マアジ近縁種129万tの漁獲を得た。特にマイワシ近縁種は前年に比べ155万tも増えた。アンチョベッタは60年から72年まで魚種別漁獲量で首位を占め,62年から71年の間,ペルーの国別漁獲量は世界一であった。これはペルー沿岸を北上するペルー海流(フンボルト海流)が沿岸域に栄養塩に富んだ深層水を湧昇させ,植物プランクトンの日間生産量が炭素にして5g/m2・日以上にも達したことによる。しかしペルー海流の北端と熱帯系水との前線が急激に南下するエルニーニョ現象のためアンチョベッタの漁獲量は激減し,73年以降スケトウダラに首位を譲った。

 表からもわかるように北太平洋のほうが魚群密度も高く,漁獲量も多い。これはおもに北側に陸地が多く,好漁場になりやすい大陸棚が広いことによる。また漁業も経済行為であり,北に消費人口が多いことも一因であろう。したがって未開発な漁業資源は南太平洋のほうが多い。例えばクチナガサンマ,カツオ,イカ,タコなどが有望視されている。また中部太平洋の海山などにも分布するキンメダイやクサカリツボダイ,また千島列島以東から南北アメリカ大陸沿岸の褐藻も未利用資源として注目されている(1993年のFAOの統計によれば,世界の総漁獲量は8425万t,太平洋では5357万tで63.6%を占めた。そのうち太平洋北西区で2481万tの漁獲量があり,46%を占める。次いで南東区(1498万t),中西区(837万t),北東区(339万t)の順となっている)。
漁場
執筆者:

1513年,スペインの武将バルボアは黄金郷を求めてパナマ地峡に入り,ある山の頂から大海原を望見した。こうしてバルボアは,太平洋を見た最初のヨーロッパ人となった。やがて始まる太平洋の探検航海の時代においても,黄金郷の探索は主要な目的の一つであった。もう一つの重要な目的は東洋産香料の貿易路確保であった。ポルトガルはアフリカ喜望峰回りの航路を開拓し,1521年にはモルッカ諸島にまで進出した。対抗上スペインは,西回りで太平洋を渡って東インドへ接近する必要があった。こうしてスペインが太平洋探検史の幕を開けることになった。

 太平洋横断と世界一周航海を最初に達成したのはマゼランである。彼はポルトガル人だったが,スペイン国王カルロス1世の援助でトリニダード号を旗艦とする艦隊を組み,1519年セビリャを出帆した。マゼラン海峡を通過して太平洋に出たのは20年暮れ,そして21年3月に太平洋を横断してマリアナ諸島のグアム島に着いた。この間,食料と水の欠乏,病気に悩まされたが,海は静かだったので〈静穏な海El Mar Pacífico(太平洋)〉と名づけられた。しかし彼の最期は,太平洋探検史の波乱の予告となった。グアム島民の盗みに悩まされた一行は民家とカヌーを焼き,数名の島民を殺して西航を続けフィリピンに到った。マゼランは4月27日マクタン島での島民との戦いで戦死した。

 メキシコのアカプルコから北東貿易風に乗ってフィリピンのマニラへ西航し,マニラからはいったん北上してのち偏西風に乗ってカリフォルニアに達するというガレオン船貿易路を開拓したのは,レガスピウルダネータである。スペイン王フェリペ2世にフィリピン占領とキリスト教の布教,およびフィリピンから新大陸への航路の発見を命ぜられた2人は,1564年メキシコからフィリピンへ渡った。そしてウルダネータが65年メキシコへ東航したのである。これに続くメンダーニャとキロスPedro Fernández de Quirós(1560ころ-1614)の航海は,古代ギリシア人の空想した〈テラ・アウストラリス・インコグニタTerra Australis Incognita(知られざる南方大陸)〉の発見を目的としていた。1567年メンダーニャはペルーを発ち,68年ソロモン諸島を発見した。その諸島名はソロモン王が黄金を得たという旧約聖書の物語にちなんだもので,黄金郷発見への意欲をうかがわせる。95年メンダーニャは,ソロモン諸島に植民地を建設するため移民を乗せて再度旅立った。しかしソロモン諸島を再発見することができないまま,98年にペルーへ戻った。この航海の途上,マルキーズ諸島とサンタ・クルーズ諸島を発見したが,メンダーニャ自身はサンタ・クルーズ諸島で死亡した。メンダーニャの2回目の航海に同行したキロスは1605年に再度ペルーから出帆し,トゥアモトゥ諸島などのポリネシアの島々を発見したのち,06年ニューヘブリデス諸島に到った。キロスはそのうちの一島が南方大陸であると信じた。

 17世紀にはオランダ人が太平洋で活躍した。1605年ヤンスWillem Janszはニューギニア島を探検したが,ニューギニアとオーストラリアのヨーク岬半島が陸続きだと誤認し,両者間の海峡初航海の栄誉をL.V.deトレスに譲ることになった。16年ハルトホDirk Hartogはオーストラリア大陸西岸へのインド洋航路を発見して大陸西岸探検の端緒をつくり,タスマンは大陸南岸を東進した。またスハウテンは16年南アメリカ最南端のホーン岬迂回航路を発見した。さらにロッヘフェーンJacob Roggeveen(1659-1729)は1722年イースター島を発見した。

 この間,イギリスの海賊も活動していた。1577-80年史上2度目の世界周航を達成したF.ドレークは海賊として有名だが,18世紀の科学的探検時代の先駆者ダンピアもこうした海賊の一人だった。イギリスとフランスの航海者たちが科学的探検時代に活躍したが,代表はJ.クックである。金星の太陽面通過観測のために1769年にタヒチ島を訪れてから,79年までの間にクックは3回の探検航海を実施した。この間,多くの島々を発見し正確な地図を作成したばかりでなく,貴重な記録を残して後世の研究に役だて,壊血病の予防法を開発するなど,すばらしい成果を収めた。太平洋の住民にも理解を示したクックだったが,79年ハワイで住民の怒りを買い殺された。
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太平洋の前史はいまだ不明な点が多い。ニューギニア島に人が住みついたのは約3万年前と推定されている。その他の島嶼については考古学的資料によって来島した時期を推定できる。16世紀から18世紀に至る大航海時代のヨーロッパ人による探索によって,ようやく地誌的状況が明らかになった。18~19世紀は太平洋の島嶼人にとって受難の時代であった。キリスト教の布教活動につづいて,略奪的貿易,黒人狩り,軍事的占領などヨーロッパ人による横行が続いたからである。このため太平洋の島々は19世紀から20世紀の冒頭にかけてヨーロッパの植民地,保護領となった。この地域が独立を回復したのは,1962年の西サモア(現,サモア)を筆頭に60年代から70年代を中心としてであった。ミクロネシア諸地域,ニューカレドニア島,アメリカ領サモア,フランス領ポリネシアなどは独立を達成していない。なお,植民地化から独立の時代への経過については,〈オセアニア〉の項目の[歴史]を参照されたい。

太平洋の島嶼国では伝統的慣習とヨーロッパから移植した近代的制度が交錯している。そのため小国家(人口,面積のうえで)でありながら,伝統的共同体を中心とする地方分散志向が強い。したがって政治の最大課題は,いかにして国家的統合を維持するかという点にある。すでに各国ともに政党が成立しているが,いずれも地方的利害を強調している点に特徴がある。こうした問題をかかえながら,近代化=産業化を迎えつつあるため,社会階層の分化と職能分化が急速に進展し,政治機能が社会状況の変化に追いつかず,政治的安定度は低い。しかし,欧米,アジア諸国に対する太平洋人としての民族意識は強く,近年パシフィック・ウェーとかメラネシアン・ウェーという政治標語が各所で叫ばれている。

 太平洋の島々は自然資源輸出国であるナウルとニューカレドニアを除き,いずれも伝統的農業生産(バナナ,コプラ,キャッサバなど)を中心としているため生産力は低い。パプア・ニューギニアの金と銅,フィジーの砂糖生産,ソロモンの漁業は注目に値するが,他の島は経済的自立への展望を開くことができない。1人当り国民所得も年間400~800ドル程度である。そのため太平洋の島々の経済は,大幅に先進諸国,国際機関からの経済援助に頼っている。
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百科事典マイペディア 「太平洋」の意味・わかりやすい解説

太平洋【たいへいよう】

大西洋,インド洋と並ぶ世界三大洋の一つで,世界最大の大洋。英語ではPacific Ocean。アジア,オーストラリア,南極,南北アメリカ大陸に囲まれる海域。東シナ海,日本海,オホーツク海,ベーリング海などの付属海を除いた大洋部の面積1億6624.1万km2で,付属海を合わせると全海洋面積の約50%を占める。インド洋との境はマレー半島,スンダ列島,ティモール島とオーストラリア北部のロンドン・デリー岬を結ぶ線,タスマニア以南では東経146°55′線であり,大西洋との境は南アメリカのホーン岬とサウス・シェトランド諸島を結ぶ線である。赤道を境にして南・北太平洋に分けられる。平均深度4188m。最深部はマリアナ海溝の1万920m。西縁は海溝島弧で境され,東縁は海溝が少ない。東太平洋海膨は南太平洋を斜めに2分しカリフォルニア湾に上陸する。海膨斜面には多数の断裂帯がある。多数の海嶺・海山群により多数の海盆に分けられる。海盆は典型的な大洋性地殻構造をもつ。知られる最古の堆積物は北西太平洋海盆の下部白亜紀石灰質軟泥。→オセアニア
→関連項目バンダ海

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太平洋」の意味・わかりやすい解説

太平洋
たいへいよう
Pacific Ocean

世界三大大洋中最大の大洋。アジア,オーストラリア,南北アメリカの各大陸に囲まれ,北はベーリング海峡で北極海に通じ,南は南極大陸に達する。大西洋とはドレーク海峡で接する。インド洋との境界は明瞭ではないが,スマトラ島から小スンダ列島に沿ってティモール島,そこからオーストラリアのロンドンデリー岬までと,タスマニアからバス海峡を通って南極大陸までとされる。面積約1億 6525万 km2 (付属海を除く) ,平均水深 4280m,最大深度1万 1034m。ベーリング海,オホーツク海,日本海,黄海,東シナ海,南シナ海,アジア・オーストラリア地中海など多くの付属海がある。大陸や島弧に平行して多くの海溝があり,中部から西部には多数の海嶺,海山列があり,海洋島が散在する。特に東太平洋海膨の存在は大西洋中央海嶺とともに海底地質学上最大級の問題を提供している。流入する河川は少い。アジア大陸側の海岸線が不規則であるのと対照的に,東太平洋の海岸線は一部を除いて規則的で,大陸棚が狭い。海流は,赤道反流をはさんで,北半球は時計回り,南半球は反時計回りの環流がかなり明瞭にみられる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「太平洋」の解説

太平洋(たいへいよう)
Pacific Ocean

アジア,南北アメリカ,オーストラリアに囲まれる世界最大の海。面積1億8000万km2。スペイン人のバルボアが,1513年にパナマ地峡を横断してヨーロッパ人として初めてこれを目撃した。20~21年にマゼランは約100日の航海の末に太平洋を横断し,グアム島に到着した。航海の最中は穏やかな天候に恵まれたので「太平洋」と命名した。その後,太平洋は数々の航海によって少しずつその全貌が明らかになり,16世紀は主としてスペイン人,17世紀はオランダ人によって探検が進んだ。特にイギリス人クック(ジェームズ)は1769年から78年にかけて3回の航海を行い,新たな島々を発見するとともに,それまで主張されていた「南方大陸」の存在を否定し,またベーリング海峡までの北太平洋の状態を明らかにした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「太平洋」の解説

たいへいよう【太平洋】

和歌山の日本酒。酒名は、蔵のある新宮市から臨む太平洋にちなみ、世界一の大洋のように愛される酒を目指して命名。大吟醸酒、吟醸酒、純米酒、本醸造酒、普通酒がある。原料米は山田錦、美山錦、日本晴。仕込み水は熊野川の伏流水。蔵元の「尾﨑酒造」は明治2年(1869)創業。所在地は新宮市船町。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「太平洋」の解説

太平洋

和歌山県、尾崎酒造株式会社の製造する日本酒の銘柄(尾崎の「崎」は正確には“たつさき”)。「本醸造 太平洋」は「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」で最高金賞を受賞している。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の太平洋の言及

【バルボア】より

…エンシソをスペインへ追放して実質的な指揮権を掌握。その後,金を求めてパナマ地峡を横断し,13年9月25日,〈南の海(マール・デル・スール)〉つまり太平洋を発見。のち,カスティリャ・デ・オロ(ダリエン)の総督ペドラリアス・ダビラPedrarias Dávilaと反目し,19年初頭斬首された。…

※「太平洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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